13時間目:資本主義・社会主義

 さあ、やっと経済分野に入ることができました。暗記が得意な人が政治分野は得意だったのに、経済分野に入って苦手になったという話をよく聞きます。しかし、理解するのに少し時間はかかるけど、解ってしまえば得意分野に変わるのが経済分野の特徴でもあります。そういった意味で、経済分野は理解できるまで繰り返し読み、わからないことはきちんと質問して、確実な知識としていくことを政治分野以上にお勧めします。

1.資本主義
 まずは資本主義という考え方についてのお話です。資本主義とは、その国の経済活動(金もうけをするための活動)に関する基本方針のことで、現在では世界中のほとんどの国が資本主義に基づいた経済政策を実行しています。そんな資本主義のキーワードはずばり「自由」です。資本主義経済の下では、人々は自由に好きな職業について、自由な方法で商売をすることができます。資本主義国の日本に住んでいたら「そんなの当たり前だろ!」と言いたくなりますが、これが昔は当たり前ではありませんでした。まずはそんな歴史から説明します。

 今から400年前のヨーロッパでは、王様(国王)による独裁政治である絶対王政が行われており(1時間目:民主政治参照)、当時の王様たちの多くは資本主義ではなく重商主義に基づく経済政策を実行していました。重商主義とは「豊かな国とは国内に多くの富(主に金や銀)を貯め込んだ国のことである」という考えのことで、金や銀を手に入れるために、王様は一部の商人たちに特権を与え、彼らに貿易させることにより、海外から金や銀を獲得して「豊かな国」を実現していました。しかしこの方法では、富を蓄えて豊かになれるのは王様と一部の商人たちだけであり、農民など多くの国民たちにとってはあまりメリットがありませんでした。さらに当時は厳しい身分差別もあり、貧しい農民たちが商人になりたくても、自由に新しい商売を始めることも許されていませんでした。そうなると農民たちの不満もたまっていきます。
 そんな中、ヨーロッパに大きな変化が訪れます。次の2つです。

産業革命…生産用機械を使って製品を生産する工場を所有し大量生産を可能にした資本家たちが、商人と同じぐらいの金持ちになる。
市民革命…市民が自由を求めて革命を起こし、政治権力が国王から市民(資本家)に移動する。

 まず、産業革命により国王、商人以外のそれまで貧しかった階層の中から、工場や機械を所有した人が資本家(経営者、ブルジョワジー)となって大金持ちとなり、国の中でも大きな影響力を持つようになります。さらに、そんな資本家たちが中心となって市民革命まで起こし、王様による政治を終わらせてしまいました。その結果、身分制度も緩くなり、世の中は自由な世界へと変わっていきます。そこで採用された経済政策が資本主義政策です。資本主義の主な特徴は次の3つです。

自由放任主義(レッセ・フェール)…国から規制されることなく、人々が自由な経済活動を行う。
私有財産制…工場・機械などの生産手段は国が管理するのではなく、個人が所有し、それらをつかって自由な事業を行う。
小さな政府(安価な政府)…国は最小限の仕事のみを行い、多くのことは国民の自由に任せる。

 難しそうな言葉が並んでいますが、一言で言ってしまえば資本主義はやはり「自由」を重視する経済政策ということです。市民革命により自由を獲得した人々は、産業革命によって発達した機械・工場を自由に所有し、自由な職業につき、自由なアイデアを出して、金持ちになることに成功しました。

 このことを理論としてまとめたのがイギリスの経済学者のアダム・スミスでした。アダム・スミスは著書『諸国民の富(国富論)』の中で、そんな自由な資本主義のすばらしさを主張し、「もし、国が国民を規制するのをやめ、それぞれが自由な経済活動を行えば、神の見えざる手に導かれて、国民全員が幸福になれる」とまで言い切りました。そして、この資本主義政策によりヨーロッパやアメリカの国々は実際に豊かになり、発展していきます。

 しかし、この資本主義にも大きな欠点がありました。確かに自由な経済活動を行って新たな事業に成功すれば金持ちになることもできるのですが、全員が金持ちになるわけではありません。つまり、資本主義は自由競争の社会であり、要領のいい人は工場や機械を所有し資本家(経営者)として大金持ちになれるのですが、要領が悪く事業や商売に失敗した人たちは金持ちになることができず、その多くが労働者(ブルジョワジー)として工場で雇われ、安い賃金でこき使われるようになりました。このように、資本主義経済ものとでは雇う資本家と雇われる労働者という貧富の差を拡大させてしまいました。
 そのような動きは1929年世界恐慌によって加速します。1929年10月24日木曜日(ブラック・サーズデイ)、アメリカの証券取引所があるウォール街で株価が大暴落した影響で、世界中が不景気になります。この急激な不景気は、ただでさえ貧しかった労働者の生活をますます貧しくし、会社の倒産も相次ぎ、失業者も大量に発生しました。
 このような状況から立ち直り、資本主義の欠点を補うため、新しい経済政策が考え出されます。方法は2つあります。①資本主義を完全にやめる②資本主義を少しだけ変更してまだ使っていく。これらのうち①を採用したのが社会主義で、②を採用したのが修正資本主義になります。

2.社会主義
 ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)中国(中華人民共和国)はこのような資本主義の欠点を指摘し、社会主義政策を採用した社会主義国を建国しました。では社会主義とはどのような考え方なのでしょうか? 社会主義のキーワードはずばり「平等」です。資本主義社会は「自由」な社会であったため、人々は自由に好きな職業に就くことができましたが、全員がそれらの職業で成功を収め、金持ちになるわけではなく、中には貧困で苦しむ人たちも発生させてしまいました。だから、社会主義を主張する経済学者たちは次のようなシステムを考え出しました。

 5人の労働量が上のような状態であった場合、資本主義であれば、もちろん自分たちが稼いだお金は自分たちで自由に使うことができます。だから、菊池くんはすごく豪勢な生活ができるし、要領が悪く2万円円しか稼ぐことのできなかった飛垣内くんは、貧乏な生活を強いられます。しかし、このような貧富の差を解消するために社会主義国では、国民の労働で得た利益を国が一括して管理し、国民に平等に配るということをします。その結果、5人は1人ずつ全員40万円ずつという風に、平等にお金を受け取ることができ、貧乏に苦しむかわいそうな人たちが出てこないと言うわけです。
 社会主義とはこのような仕組みで、平等な社会を実現させる制度なのですが、まとめるとこんな特徴を持っています。

生産手段の国有化…工場・生産用機械などは全て国が管理し、国全体の経済活動を政府が管理する。国民は全員、国営企業(国営農場)で働き、給料を国が国民に平等に分配することにより、貧富の差をなくす。
計画経済…どの商品をどれだけつくるかは政府が決定することにより、売れ残りがないようにする。
独裁政治…これらの仕事を全て政府が行い、政府の仕事が多いので、政治を担当する共産党が大きな力を持つ。

 現在採用されている社会主義理論をまとめたのはドイツのマルクスです。マルクスは著書『資本論』の中で、資本主義を批判し「資本主義は社会主義に取って代わられる」とまで予言しました。実はマルクス自身すごい貧乏で、娘が死んだときに棺おけを買ってあげるお金すらなかったといいます。そんな、苦しい貧しい人たちの生活を知っていたからこそ、貧しい人たちが救われ、平等な社会が実現できる社会主義を主張したわけです。

 そして、1922年に世界初の社会主義国ソ連が誕生したのを初めとして、世界にはソ連の支援のもと多くの社会主義国が誕生しました。しかし、そんな社会主義国のリーダーであったソ連が1991年に消滅した後には、東ヨーロッパ諸国は全て社会主義を放棄し、現在、社会主義国は中国、ベトナム、北朝鮮、キューバなどの数か国だけになってしまいました。なぜ彼らは社会主義を放棄したのか? それには社会主義国に大きな欠点があったからでした。

① 頑張って働いても給料は同じなので、サボるやつが多い。
② 職業選択の自由がない。
③ 政府の計画があまいとモノ不足や飢饉となる
④ 独裁政治になりやすい。

 社会主義は資本主義の特徴である「自由」を制限し、国民の生活の隅々まで政府が管理する制度だったため、国民の多くが不満を持ちました。しかも、①にあるように、頑張って働かなくても給料は変わらないため、国民の労働意欲がわかず、国全体の生産量もすごく低いものでした。その結果、ソ連と東ヨーロッパ諸国は社会主義を放棄し資本主義に移行し、まだ残っている社会主義国の中国、ベトナム、キューバなどは資本主義要素を取り入れて社会主義の改革に取り掛かっています。それではその様子を解説しましょう。

3.社会主義国の崩壊と改革
●ソ連の崩壊
 11時間目:東西冷戦のところでもやりましたが、社会主義国のリーダー的存在であったソ連が1991年に崩壊し、ソ連は15の共和国に分裂しました。ソ連が崩壊してしまった一番の理由を挙げるとするならば「ゴルバチョフの急激過ぎる改革に国民がついていけなかった」ことにあると思います。
 1985年にゴルバチョフが、ソ連の最高指導者書記長に就任したとき、既にソ連による社会主義は限界に来ていました。仕事内容がマンネリ化し、労働意欲もわかない国民はだらだらとした労働生活を送っていました。しかも、共産党の独裁政治により、国民の自由は制限され、政府を批判することも許されず、さらにはアメリカとの軍備拡張競争のための軍事費の増大がソ連政府の財政を圧迫していました。そこまでやばい状態だったので、ソ連政府も独裁者ではなくまともな人を最高指導者に選ぶことにしました。そこで登場したのがゴルバチョフです。ゴルバチョフは次の3つの改革によって、ソ連を建て直そうとします。

ペレストロイカ(改革)・・・社会主義国であるソ連に、資本主義の「自由」を認める要素を取り入れる。
グラスノスチ(情報公開)・・・それまで秘密に包まれていた、ソ連政府の情報を国民に公開し、開かれた政治を行う。
新思考外交・・・東西冷戦を反省し、アメリカとも強調していく外交政策を展開する。

 ③の新思考外交については11時間目:東西冷戦のところでもうやりました。ここではペレストロイカグラスノスチを説明します。ゴルバチョフは経済活動にはやっぱり「頑張った人が得をする」という原理がないと労働意欲もわかないのでペレストロイカという改革により、商品の販売や事業を始めることにおいてある程度の自由を認め、国民の労働意欲を高めようとしました。さらに、スターリン時代から続く、闇に包まれた独裁政治により、ソ連政府には自分の利益だけを求める腐った政治家や官僚が多く育ってしまったため、ゴルバチョフはグラスノスチ(情報公開)により、隠し事のない政治を目指しました。

 一見、ゴルバチョフの政治はすごくすばらしいように見えますが、彼の政策の欠点はこのような改革をあまりにも急激にやろうとしすぎたことです。それまで、政府の命令に従うだけだったソ連の国民たちは、突然「自由にしろ!」と言われても、何をどうしていいのかわからなかったといいます。さらに、情報公開により自分たちの悪事を暴かれることを恐れ、政治家や官僚たちも危機感をもちました。
 そこで起きたのが1991年8月のクーデターでした。ソ連を支配していた共産党の、古い考えの人たちは、ゴルバチョフの側近であったはずのヤナーエフ副大統領を中心として、ゴルバチョフが別荘で休暇をとっているすきを狙って彼を別荘に閉じ込め、そのままソ連政府をのっとろうとしました。しかし、この動きに感づいたエリツィンが国民を支持を受けて反発し、この反ゴルバチョフ政権を政府から追い出し、見事ゴルバチョフの救出にも成功しました。ただし、このときにクーデターを起こした政治家たちは全員ゴルバチョフの側近だったため、国民からのゴルバチョフと共産党に対する信頼は失われ、逆にこのとき国民の支持を受けて悪者と戦ったエリツィンが国民の人気者となりました。
 その結果、共産党によるソ連の政治をこのまま続けることができず、エリツィンの提案でソ連は15の共和国に分裂し、社会主義を放棄し、ソ連という国自体がなくなってしまいます。そして、ソ連が持っていた権限の多くはロシア連邦が受け継ぎ、ロシアの大統領を務めたのがエリツィンでした。そして、ソ連が分裂してできた15カ国のうち12カ国は、ソ連解体後もある程度の協力関係を築くための連合組織としてCIS(独立国家共同体)を結成しました。社会主義国のリーダー的存在であったソ連のあっけない最後でした。

●中国の改革・開放政策
 ゴルバチョフが行ったペレストロイカのような改革はその他の社会主義国でも行われました。主な例としてベトナムが実施したドイモイ(刷新)中国改革・開放政策があります。

 中国では鄧小平の指導のもと、1978年に四つの現代化政策として「農業、工業、国防、科学技術」の4つの分野での経済発展が重要目標に設定されたのですが、これらの目標を達成するためにはそれまでの社会主義政策だけでは限界があると考え、1979年からの改革・開放政策により、資本主義の自由な要素が少しずつ取り入れられていくようになります。このときの目玉が海岸沿いの5地域が設定された経済特区の設置です。本来、社会主義国の企業は国が経営する国営企業であるため、社会主義国では外国の企業が進出してくることは認められていませんでした。しかし、この経済特区に設定されたシェンチェン、チューハイ、アモイ、スワトウ、ハイナンの5地域は特別に、外国の企業の進出が認められることになりました。そして、これらの地域の外国企業は産業を発展させ、さらに中国人もアメリカや日本の企業から最先端の技術や、商売の方法を学ぶこともできました。さらに、この経済特区の実験成功により、中国ではほとんどの大都市で海外企業の進出を認め、海外企業の力を借りながら、自らも学習していくという方法で経済発展を続けてきました。

 そして、1993年には中華人民共和国憲法に社会主義市場経済という言葉が盛り込まれます。これは、政治は社会主義体制を続けていきながら、経済は市場経済(資本主義)を導入するという方針を示したもので、これにより中国政府は自由な資本主義を正式に認めました。

 しかし、素朴な疑問として、経済が「自由」になったんだったら、もう社会主義国じゃねえじゃん。資本主義国じゃん。と思います。とくに「社会主義市場経済」だなんて、社会主義?資本主義(市場経済)?どっちやねん?という感じです。こんな矛盾を解説すると、今の中国は、経済=資本主義、政治=社会主義なのです。つまり、お金もうけ(経済)の面では資本主義のほうが効率的なので資本主義を採用しているけど、共産党による独裁政治は続けたいので、政治は社会主義のままですよ、ということです。ここに中国の大きな矛盾があります。だから、1989年に北京大学の学生を中心とする国民が中国の独裁政治を批判し、政治の民主化を求めて集会を開いた時も、中国政府は軍隊を派遣して彼らに発砲し、約300人の国民が死亡しました。これが有名な天安門事件です。
 さらに中国では共産党による独裁政治を正当化するため、中国に侵略していた日本軍を追い出し、中国の独立を達成した共産党の偉業をたたえることを目的に、「共産党が戦っていた日本軍がどんな悪いやつだったか」を教育する反日教育も盛んです。ただ、実際に日本軍と戦ったのは、共産党よりも、台湾に逃げて行った国民党なのですが・・・。

 1997年にはイギリスから香港が、1999年にはポルトガルからマカオ中国に返還されました。これらの地域はそれぞれ資本主義国の植民地として発展していたので、社会主義国の中国に返還されることを住民たちはかなり不安に思っていました。そこで中国は、香港とマカオは社会主義国の中国の領土でありながら資本主義を続けるという一国二制度を採用しました。というわけで、香港とマカオは一応、社会主義国中国の領土ですが、中国本土以上に自由な経済活動が認められています。
 なので、香港の人たちからすると、中国返還後も政治における自由(民主化)も認められると期待していたのですが、時間が経つにつれて、中国共産党による政治支配が強まっており、2014年の雨傘革命以降、学生たちを中心とした中国政府に対する反対運動が盛んにおこなわれています。

 ただ、やはり思うのですが、ここまで社会主義に「例外」の資本主義政策を取り入れまくったら、もう中国は社会主義国じゃねえじゃん、と思います。ですので、外国人から言わせてもらうと、経済で「自由」を取り入れたのなら、政治でも「自由」を取り入れて、共産党による独裁政治を終わらせるのが筋ではないかと思います。ただ、経済どころか、全く改革すらしようとしてない北朝鮮よりはましなのかもしれませんが・・・。

 なお、ソ連のペレストロイカ、中国の改革。開放政策のベトナム版がのドイモイ(刷新)です。ただ、ベトナムと中国は似たようなことをやっている隣国の社会主義国なので、仲がいいと思いきりゃ、南沙諸島の領土問題で対立しているのでそんなに仲は良くはありません。

4.修正資本主義
 ソ連や中国は「資本主義はダメだ!」と言って、資本主義をやめ「社会主義」の道に走っていきました。しかし、「資本主義には確かに欠点はあるが、ちょっと工夫を加えるだけでまだまだ使っていける」と考えたのが「修正資本主義」でした。その代表者が『雇用利子および貨幣の一般理論』を著したイギリスの経済学者ケインズです。

 純粋な資本主義では、国民の経済活動を自由にしたところ、貧富の差が拡大し、とくに不景気の時には大量の失業者も発生してしまうなどの大問題も発生しました。というわけで、そんな困っている貧しい人たちを助けてあげなければなりません。そこでケインズたちはそんな弱い人たちを助けるために、政府が積極的に経済活動に関わらなければならないと主張しました。
 アダム・スミスなどの純粋な資本主義理論では、政府が国民の経済活動を制限し、関わることを批判してきましたが、修正資本主義のもとでは、政府が積極的に国民生活に関わり、多くの仕事をすることを基本とします。そんな政府のことをアダム・スミスの「小さな政府」に対抗し大きな政府」と言います。例えば、不景気で失業者が大量に発生してしまったとすると、政府は税金などを使って、そんな失業者を助けるための政策を積極的に行わないといけません。

 具体的な例を出すと、そんな修正資本主義政策を初めて大掛かりに実行したのがアメリカルーズベルト大統領によるニューディール政策でした。1929年に発生した世界恐慌により、世界中に不景気が広がっていった話はさっきしましたが、その影響で、もちろんアメリカも深刻な不景気となり、ひどいときには失業率が25%(労働者の4人に1人が失業者)という時期までありました。そんな失業者たちを救うために、ルーズベルト大統領は、税金を使ってダムや道路、アパートなどの建設という公共事業をたくさん行い、それらの工事の仕事を失業者たちに与えました。特に有名なのがテネシー川流域の大開発を行い、その仕事を失業者たちに与えたTVA(テネシー川流域開発公社)です。そして、これらの仕事にありつけた失業者たちは給料を受け取り、彼らが買い物をすることによってさらに商品が売れ、アメリカの景気は少しずつ回復していきました。このように政府が公費(税金など)を使って、国民に仕事を与えたり、国民の所得を増やしたりする政策のことを有効需要政策といいます。ニューディール政策後は、世界中の資本主義国が積極的に財政資金を使って、国民の生活を助け、国民の経済活動にかかわるような修正資本主義政策を行うようになりました。

5.新自由主義
 しかし、1980年代ぐらいからそんな修正資本主義(ケインズ経済学)も批判されるようになってきます。というのが、修正資本主義を行おうとした政府は国民を助けるために実に多くの政策を行う代わりに、税金もたくさん使うので、政府の財政支出を圧迫してしまったのです。しかも、国民を政府が助けすぎると、国民の中にも「失業しても政府が助けてくれるからいいや!」という甘えのようなものも出てきます。そんな中、修正主義はやめ「もう一度アダム・スミスの小さな政府に戻ろう!」と主張したのがアメリカの経済学者フリードマンでした。彼は、景気政策は中央銀行が資金の量を調整する金融政策(※金融政策については17時間目:金融で説明します)のみにとどめるべきであるとするマネタリズムという考えを主張し、ケインズが主張した有効需要政策などは財政赤字の原因となるとして批判しました。このような考えのことを新自由主義と言います。

 新自由主義の理論に従って実際の政治を行ったのが、イギリスサッチャー首相、アメリカレーガン大統領、日本中曽根首相でした。当時としては画期的だったサッチャー首相の新自由主義政策はサッチャリズム、レーガン大統領の政策はレーガノミクスと呼ばれました。ちなみに、安倍首相がよく使う「アベノミクス」という経済政策の名前はレーガノミクスをパクったものですが、やっている内容は新自由主義よりもケインズの修正資本主義の傾向のほうが強く、全く逆の政策だと思ってもらって構いません。

 日本の中曽根首相の政策を例にとると、6時間目:内閣のところでもやりましたが、国鉄(日本国有鉄道)、電電公社(日本電信電話公社)、専売公社(日本専売公社)をJR,NTT,JTに民営化しました。これらの赤字だった国営企業を国から切り離すことにより、国が余計な税金をこれらの企業に使わなくてもよくなっただけでなく、今まで国に守られていたこれらの企業が普通の民間会社になったことにより、電車業界ではJRと民間鉄道会社との競争が激しくなり、生き残るためにJRはサービス内容を国鉄時代と比べ大きく向上させ、利用客たちを喜ばせました。また電話業界では、電話会社内の競争が起こることにより電話料金の値下げが実現しました。
 「小さな政府」を進める中では規制緩和という動きも盛んです。これは政府が特定の産業を保護するために行っていた規制を緩めるまたは廃止することを意味します。例えば、日本では一定の基準を満たした大企業でないと、飛行機会社やビール会社を作ることができなかったのですが、規制緩和により、それらの基準が緩くなり、以前より簡単に飛行機会社やビール会社を作ることができるようになりました。これは、「飛行機会社がたくさんあって値下げ競争をすると、飛行機の整備に手抜きが出て、事故を引き起こしかねない」とか「ビール会社がたくさんあって値下げ競争をすると、ビールが世の中に出回りすぎて未成年にも手に渡りやすくなる」といった、心配性とも取れる理由のもとにあった規制だったのですが、この規制緩和の結果、飛行機業界ではANAやJAL以外にも格安航空会社が参入できるようになり、競争により航空運賃の値下げも実現しました。さらにビール業界でも各地方名産の地ビールの生産がブームになったりもして、町おこしに貢献しました。

 そう考えると規制緩和は消費者(客)にとってはうれしくなることも多いのですが、規制を緩くするということはそれだけ競争が激しくなるという特徴もあります。よって、新自由主義を徹底しすぎると、弱い会社が潰れたり、強い会社に吸収されたりして、特定の企業に利益が集中してしまう。その結果、世の中の会社や労働者たちが勝ち組と負け組に分かれてしまい格差が広がってしまう。そんな問題が発生することもあります。
 近年では、2001年からの小泉内閣が新自由主義的な経済政策を推し進め、郵便局(郵政事業)、日本道路公団(日本道路四公団)の民営化や、規制緩和を進めました。その結果、いくつかの優良企業が景気を引っ張ったことにより、日本経済は回復に向かったのですが、業種によっては、激しい競争により会社倒産が相次いだ業種もあれば、一見、競争に打ち勝ち、大成功しているように見える大企業の中にも、幹部たちが億単位の年収を受け取っているのに対し、末端では店長やアルバイトたちが少ない給料で休日返上で働かされているセブンイレブンのような会社も発生してしまっており、彼らを助けるために、今度は修正資本主義的な政策が必要となっています。

 では、最後に今日のまとめです。

 みなさんはどの考えに基づいた経済理論が一番いいと思いますか? 世界の国の中では、中国ベトナム社会主義アメリカ新自由主義(資本主義)のボス、スウェーデンフィンランドなどの北ヨーロッパの国々が修正資本主義の代表、そして新自由主義と修正資本主義の間で揺れていて中途半端なのが日本というところでしょうか。
 さらに、私の個人的な分析でいえば、今の日本の政党の中で「資本主義(新自由主義)」を重視しているのが自民党や日本維新の会、「社会主義」を重視しているのが共産党、「修正資本主義」が立憲民主党、社民党、公明党あたりではないかと思います。もちろん各政党の中にも過激派と穏健派がいるので、厳密に分類することは難しいですが…。

 ただ、どの考えもよい点もあれば悪い点もあります。その時代の流れと国民の要求をうまくつかんで、政府は時代にあった政策を実施して欲しいと思うし、国民も冷静な判断で政党を選挙で選ぶだけでなく、どのような経済政策の中でも生きていけるように、しっかり経済の勉強をしてほしいと思います。

2020年1月25日