2時間目:世界の政治

 今回は、前回勉強した政治理論を参考にしながら、実際に世界でどのような政治が行われているか説明します。まずは、権利についてです。

1.人権の国際保障

 前回、市民革命の頃から、国民が国王に支配されず自由に生きる権利である自由権が、各国で認められるようになり、ドイツのワイマール憲法の頃から社会権も認められるようになったと言いましたが、今度はそのような人権(権利)が、国家を越えて、世界レベルで広まっていった歴史を説明します。

 そのきっかけとなったのが、アメリカ、ルーズベルト大統領の4つの自由です。4つの自由とは、

 ①言論と表現の自由
 ②信教の自由
 ③恐怖からの自由
 ④欠乏からの自由

 この4つの自由は1941年に発表されましたが、この時期は第2次世界大戦の最中で、ナチスドイツがユダヤ人の大量虐殺を行うなど、世界各地で人権が守られてない悲惨な事件が多くあった背景があります。日本人がアジアの人たちに行っていたひどい行為、日本政府が国民に対して行っていた弾圧も例外ではありません。この時のドイツ、日本、イタリアのように国の繁栄を第一に考えるあまり、国民の自由や権利を弾圧してきた独裁政治のことをファシズムといいます。

 第2次世界大戦が終結すると、国際連合が作られ、国連ではこの4つの自由を基本に、世界的な人権保障の基準を文書で作る作業が進められます。その結果できたのが1948年の世界人権宣言です。しかし、同じ年、せっかく完成した世界人権宣言をあざ笑うかのように、南アフリカでアパルトヘイトが始まります。これは南アフリカで人口の10%を占める白人が優遇され、人口の90%の黒人があらゆる面で差別されるというとんでもない政策でした。

 そこで、国連は考えます。世界人権宣言はあくまで「宣言」であり、人権の国際基準を世界に向けて宣言したにすぎません。だから、南アフリカのようなひどい国が出てきても、懲らしめることができない。そこで、今度は法的拘束力を持ち、違反した国に制裁を加える根拠となるような「法律(条約)」の作成作業に入ります。その結果できたのが1966年の国際人権規約です。つまり国際人権規約は世界人権宣言が「宣言」から「規約(法律)」にパワーアップしたものと言うことができます。

 そして、その他にも国連が中心となって、人権を守るため、差別されている人を保護するために、いくつかの国際条約が作られました。それらと、これまでの説明を年表にまとめます。

年号 事件 内容
1941 ルーズベルト大統領(米)の4つの自由 言論と表明の自由、信教の自由、恐怖からの自由、欠乏からの自由
⇒第二次世界大戦中のナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺を背景。
1948 世界人権宣言 国連が「4つの自由」の精神をもとに、人権保障の国際規準を制定。
⇒しかし,「宣言」にすぎないため、法的拘束力なし
1948 アパルトヘイト 南アフリカで実施された黒人差別政策。
⇒世界人権宣言を挑発する形で実施された。
⇒1991年に廃止され、ネルソン・マンデラ氏が初の黒人大統領として就任。
1951 難民条約 人種,宗教,政治的な迫害を理由に母国を脱出した人々(=政治難民)を保護することを規定した条約。
⇒貧困を理由に母国を脱出した人々(=経済難民)は保護の対象外
1965 人種差別撤廃条約 アパルトヘイトのような人種差別の禁止。
⇒この条約の批准をきっかけに日本は「アイヌ文化振興法」を制定。
1966 国際人権規約 「世界人権宣言」に法的拘束力を持たせる。
A規約(経済的・社会的および文化的権利)=社会権的規約
規約(市民的および政治的権利)=自由権的規約
 ※A規約もB規約も第1条は「民族自決権」について。
B規約の(第1)選択議定書=B規約を自分の国が侵害した場合,被害者個人が国連の自由権規約人権委員会に訴えることができる。
★B規約の第2選択議定書=死刑廃止議定書
★A規約の選択議定書=A規約が守られなかった場合、個人や他国が通報し、国連の社会権規約人権委員会が調査を行うことを定める。
1979 女子差別撤廃条約 男女差別の禁止。
⇒この条約の批准(1985年)をきっかけに日本は「男女雇用機会均等法」を制定された。また、国籍法が改正され、子どもの国籍取得が、父系優先血統主義から、父母両系血統主義に変更。
1980 ハーグ条約 国際離婚した一方の親が、親権を持つ親に無断で16歳未満の子を連れ去った場合、無条件に元の親に引き戻す。
⇒日本は2014年に批准。
1989 子どもの権利条約 18歳未満の子どもの人権保障。子どもを保護するだけでなく、意見の表明・思想の自由、集会・結社の自由など権利行使の主体として認める。
2006 障害者権利条約 障害者の尊厳と権利を保障するための条約。
2006 国連人権理事会発足 国連で人権問題の中心となった人権委員会が、人権理事会に格上げ。

 国際人権規約には、3つの選択議定書という付録がついています。最初は1つB規約の選択議定書があるだけでしたが、1989年にB規約の第二選択議定書、2008年にA規約の選択議定書と増えていきました。その結果、B規約の選択議定書は第一選択議定書、第二選択議定書と区別して呼ぶようになりましたが、昔の名残や、第二選択議定書は死刑廃止議定書という名前のほうが定着しているため、B規約の第一選択議定書は、B規約の選択議定書と呼ぶことの方が多いです。

 補足説明として、子どもの権利条約は18歳未満を子どもと規定しています。それに対し、日本は20歳=成人という考えから、20歳未満を子どもと考えてきました。しかし、日本でも2015年に選挙権の資格が20歳以上から18歳以上に引き下げられたように、国際基準に合わせようとする動きが出てきました。これにより今後、民法、刑法などの年齢基準も変わるかもしれません。ただ、酒税、たばこ税の税収アップを目指して18歳から酒もタバコもOKにしようとする案は、医療団体や教育団体の猛反発にあい、廃案になりました。 

 その他に、日本が批准していない人権条約も注意です。これも表にまとめました。

批准していない条約 理由
国際人権規約
B規約の選択議定書
人権問題における規約人権委員会による裁判や調査は、日本の裁判所の独立に反し、内政干渉に当たると考えるから。
死刑廃止議定書 国民の多くがまだ死刑容認の意見が強いから。
国際人権規約
A規約の一部
保留して批准
「祝祭日の給与」…休んでいる日にまで給料をあげる必要はないから。
「公務員の争議権」…公務員がストライキとかやったら大変だから。
ジェノサイド条約
※集団虐殺の禁止
批准すれば、日本にも集団虐殺がおこなわれた国を処罰する義務が発生するため、そのための武力行使が憲法9条に違反するから。

 批准とは「いい条約ですね。日本もその条約を守ります。」とその国が条約を守ることを約束することです。つまり、国連がせっかく条約をつくっても、批准した国は守るけれども、批准していない国は守らなくてもいいということになります。
 まず、日本は基本的に国際人権規約を批准していますが、3つの選択議定書は批准していません。まず、B規約の(第一)選択議定書A規約の選択議定書は、例えば日本人が日本国内で政府による人権侵害を受けたけれど、政府や裁判所は信用できないというとき、国連が設置する(自由権or社会権)規約人権委員会に裁判や調査を行ってもらう手続きについて定められたものです。しかし、日本国憲法には「司法権の独立」という規定があり、外国の機関(国連の機関であっても)が日本の裁判に関わるのは望ましくないという判断から、これらの選択議定書を批准していません。よって、みなさんが日本政府により人権侵害を受けたとしても、国連の規約人権委員会に訴えることはできないということです。
 そして、死刑廃止議定書(B規約の第二選択議定書)ですが、これも知っている人も多いように、日本は死刑を行っている国なので批准していません。とくに日本人の場合、凶悪犯罪が起こるたびに、死刑が必要であると考える人が増え、現在でも国民の80%以上が、死刑が必要あるいはやむをえないと考えていますが、世界的にみると約70%の国や地域で死刑は実施されていません
 さらに、日本は、基本的にA規約は批准していますが、A規約のうち「祝祭日の給与」「公務員の争議権」の項目は、日本の実情と合わないからということで、保留しています。そしてもう一つ「高等教育の無償化」という項目も保留していました。ここでいう高等教育とは高校と大学のことを指します。2009年に日本では民主党が政権をとったことにより、選挙公約の一つであった公立学校の授業料無償化を実施しました。さらに、大学の授業料についても奨学金制度が整ってきたということで、2012年に日本は「高等教育の無償化」の留保を撤回しました。その結果、この流れがさらに進むと思いきりゃ、この年12月の選挙で自民党が政権を奪還し、現在は公立学校の授業料が無償になるのは所得が低い人だけに限定されることになりました。ということは撤回をさらに撤回…? なんてことになっても恥ずかしい気がします…。

2.世界の政治制度
 次に、世界各国の政治制度を特にイギリスとアメリカを中心に説明します。まず、世界の政治体制の主流は議院内閣制大統領制に分けることができます。この2つの政治の違いはこれから詳しく説明して行きますが、乱暴に分類してしまうと首相(内閣総理大臣)が中心となって行う政治が議院内閣制で、大統領が中心となって行う政治が大統領制です。例えば、2016年の伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)に参加したメンバーを見てください。

・日本 =安倍首相        ・ドイツ =メルケル首相
・アメリカ =オバマ大統領    ・イタリア =レンツィ首相
・イギリス =キャメロン首相   ・カナダ =トルドー首相
・フランス =オランド大統領

 これを見たら、どこの国が議院内閣制の国で、どこの国が大統領制の国かわかりますね?
 サミットはその国の政治のリーダーが集まる会議なので、サミットに大統領が出席している国は基本的には大統領制、首相(総理大臣)が出席している国が議院内閣制ということになります。こういう分類だと、日本は議院内閣制の国ということになります。ただ、厳密にはもっと大きな違いがあるし、どちらに分類していいのかわかりづらい国もあるのですが、これについてはまた後で説明します。
 そんな世界の政治体制の違いをここでいくつかまとめておきましょう。


 ●議会政治の形態

議会政治の形態 特徴
議院内閣制 ・首相(内閣総理大臣)が政治のリーダー
・立法権(議会)と行政権(内閣)が協力関係にある。
イギリス、日本、ドイツ
イタリア、カナダ
大統領制 ・大統領が政治のリーダー
・立法権(議会)と行政権(大統領)が分離。
アメリカ、フランス
ロシア、韓国
権力集中制
(民主集中制)
・特定の機関に権力が集中。
・特定の人物に権力が偏る傾向がある。
中国、北朝鮮
キューバ


 ●政党政治の形態

政党政治の形態 特徴
多党制
(小党分立制)
有力な多くの政党による政権争いが行われ、考えの近い政党が協力し合って連立政権を結成。 ドイツ、フランス
イタリア
二大政党制 有力な2つの政党による政権争いが行われる。 イギリス、アメリカ
台湾
一党独裁制 1つの政党による独裁政治が行われる。 中国、北朝鮮
キューバ


 日本がどの政党政治の形態か? と聞かれてもなかなか難しいですね。多党制と呼ぶには自民党が一党だけ強すぎるし、二大政党制と呼ぶには自民党のライバルであった民進党(旧民主党)もすっかり弱ってしまったし、自民党の一党独裁制と呼ぶのは言い過ぎだし、さらに公明党と連立政権組んでるし…と考えたら日本は政党政治で言えば分類不能! すみません。逃げてしまって…。

●独裁政治の種類

独裁政治の種類 意味
ファシズム 国民の自由や権利を否定する政治を広く指す言葉。 かつてのドイツ、イタリア、日本
開発独裁 国民の生活安定よりも、経済の発展を優先する政治。
⇒貧富の差が拡大
かつての韓国、インドネシア
フィリピン
軍事独裁 軍隊が政治権力を握り、国民の自由を弾圧する。 かつてのエジプト、ミャンマー


●その他の種類

  特徴
共和制 絶対権力者が独裁政治を行うのではなく、国民の多数により政治が決定される政治体制。 フランス、イタリア
ギリシア
立憲君主制 絶対権力者に権力を与えるのではなく、権力者の権利が憲法や法律に従って規定されている政治体制。 イギリス、スペイン
オランダ、スウェーデン
連邦制 複数の州や国が1つの主権の下にまとまって統治される政治体制。 アメリカ、ロシア
ドイツ、ベルギー


3.イギリスの政治制度

 それでは、世界で初めて議院内閣制を始めた国であるイギリスの政治体制について説明します。

元首 国王  君臨すれども統治せず」といわれ、政治上の権力は持たない。
政党 二大政党制 保守党=主に経営者などに支持される。(2015年から与党)
労働党= 主に労働者などに支持される。(2015年からは野党)
立法権 議会 上院(貴族院)=貴族たちにより構成。定数不定(約750名)。 
下院(庶民院)=国民による選挙で選出。定数650名、任期5年。
  ⇒実際の政治は下院が行う。(下院優越の原則
行政権
内閣 首相国務大臣⇒全員国会議員を兼ねる
★下院で一番議員の数が多い政党の党首が首相となる。
★下院は首相と大臣たちを総辞職させることができる。
 ⇒議会と内閣が完全に分立せず、協力関係にある政治=議院内閣制
司法権 裁判所 ★これまでは上院に所属する最高法院が裁判所のトップであったが、2009年からは、議会とは独立して設置された最高裁判所が裁判所のトップとなった。
★今までの裁判の判例に従って作られていったコモン・ロー(判例法、慣習法)を中心として裁判を行う。

 まず、イギリスの元首は国王です。元首は外交などでその国を代表する人のことですが、イギリスの元首は首相ではありません。国王です。ちなみに現在の国王はエリザベス女王です。そして、彼女が退位したあとは、国民の絶大な人気を誇ったダイアナさんと結婚したにもかかわらず、浮気がばれて離婚したチャールズ皇太子が国王になる予定です。ですので、イギリス人の多くはチャールズ皇太子には早く退位してもらって、チャールズ皇太子とダイアナさんの息子であるウィリアム王子に早めに国王になって欲しいようです。ただ、イギリスの国王には「君臨すれども統治せず」という原則があり、国の元首ではあるけれども、政治は行わず、形式的な仕事しか行いません。このあたりは日本の天皇と似ています
 そして、イギリスは二大政党制の国です。ここ最近まで保守党労働党が、いつも選挙でほぼ一騎打ちで戦ってきました。ただ最近二大政党制の形が崩れつつあり、2010年の下院選挙では保守党、労働党ともに過半数の議席を確保することができず、保守党と自由民主党による連立政権が誕生しました。この時の状況をハング・パーラメントと言います。ハングとは「ぶらさがる」という意味の動詞、パーラメントは議会という意味です。直訳すると「ぶらさがり議会」というところでしょうか。つまり議会において過半数議席を確保する政党がおらず、ぶらさがって今にも落ちそうな不安定な議会の状態が5年ほど続きました、そして2015年の選挙では保守党が過半数議席を獲得し単独政権を樹立することに成功し、ハングパーラメントの状態は一応終了しましたが、スコットランドのイギリスからの独立を目指すスコットランド国民党などが大躍進し、多党化の動きが強まってきているといわれています。


 今度は立法権について。イギリスの議会(日本でいう国会)は、2つの議院からなります。ここまでは日本と同じですが、日本では衆議院と参議院の違いがわかりにくいのに対して、イギリスの2つの議院の違いは簡単です。イギリスの議院は上院(貴族院)下院(庶民院)。まず、上院は選挙がなく、国王の推薦で貴族の中から選ばれます。それに対して下院は選挙で国民の中から選ばれます。というわけで、日本人としては驚きですが、イギリスにはまだ貴族がいます。ただ、イギリスにおいて上院はあくまでアドバイスを与えるだけの存在に過ぎず、実際の政治は下院が行っているので安心してください。
 次に行政権について、行政権(内閣)のリーダーが首相ですが、イギリスでは、下院の選挙の結果、下院で過半数議席を獲得した政党の党首が、選挙終了時点でほぼ自動的に総理大臣になります。つまり、2015年5月のイギリス下院選挙では、キャメロン党首率いる保守党とミリバンド党首率いる保守党が選挙で戦った結果331対232で保守党が勝ちました。その結果、保守党のキャメロン党首が首相となり、政治を行っているわけです。
 そして、イギリスは議院内閣制の国です。フランスの政治学者モンテスキューは三権分立を主張し、政治権力を3つに分け、3つの権力を完全に独立させることを主張しました。しかし議院内閣制を採用するイギリスでは、3つの権力のうち議会(立法権)と内閣(行政権)が完全に独立せず協力しながら政治を行います。具体的に言うと内閣の長である首相と首相を補佐する大臣たちは議会に所属する国会議員の中から選ばれるし、もし議会が内閣不信任決議を可決した場合には、内閣の首相や大臣たちは総辞職しなければなりません。このように議会(議院)と内閣が連帯責任を取り合い、一体化しているのが議院内閣制の大きな特徴です。言い換えるならば、議院内閣制を採用しているイギリスでは、立法権(議会)と行政権(内閣)が完全に独立していないということです。どういうことでしょうか? ただ、申し訳ないのですが、ここからはアメリカと比較したほうがわかりやすいので、またあとで説明します。⇒To be continued!
 そんな議院内閣制は1742年のウォルポール内閣から始まりました。1741年に議会選挙で敗れたホイッグ党のウォルポール大蔵卿(現在の首相)は、議会の信任を失ったと判断して自身の内閣を総辞職しました。そして、ここから内閣が議会に対して連帯して責任を負う議院内閣制がスタートしたと言われます。
 次に司法権(裁判所)です。イギリスでは法廷貴族と呼ばれ、上院に所属する貴族が裁判を担当していましたが、貴族が裁判を行うのはさすがに民主国家としてまずいだろ、ということで、2009年から司法権(裁判所)は上院や貴族から完全に独立し、最高裁判所が裁判所のトップとなりました
 そして日本の裁判とイギリスの裁判で最も違うのがイギリスは判例法(コモン・ロー)に従って裁判を行うということです。この判例法というのが、日本人になかなか理解しにくいのですが、日本の裁判所が法律に従って裁判を行うのに対し、イギリスやアメリカでは判例(今までに行われた裁判の前例)に従って裁判を行うということなのです。そんな伝統的に行われた裁判の前例が積み重ねられて作られた法体系、それがコモン・ロー(判例法、慣習法)です。そんな説明をすると多くの日本人が「昔の人たちが正しいとは限らないのに前例に従って裁判を行う」なんて危険ではないかと言われそうですが、コモン・ローも新たな裁判の結果とともに変わっていくし、もちろん法律に100%従わないわけでもないので、そのあたりはイギリスに行った時に犯罪を起こしても安心してください(?)。

 あといくつか、イギリスの政治の特徴を解説します。まず、イギリスは不文憲法の国。イギリスには憲法がありません。日本には日本国憲法、アメリカにはアメリカ合衆国憲法など、国の基本となる法律である憲法がありますが、イギリスではイギリス国憲法なんてものはつくらず、古くから作られたたくさんの法律を憲法の代わりに使っています。つまり、マグナ・カルタ、権利請願、権利章典など、イギリスでは、歴史の中ですばらしい法律がたくさん作られましたが、イギリスから言わせて見れば、「わざわざ憲法なんか作らなくても、イギリスには、はるか昔から憲法の代わりに使うことのできるすばらしい法律がたくさんある!」と言いたいわけです。よく言えば「伝統を大事にする」。悪く言えば「自慢したい」ということになるのでしょうか。まあ、マグナ・カルタなんかは、日本で言えば鎌倉時代に作られた法律です。自慢してもいいような気がします。
 さらに、イギリスには影の内閣という面白い制度があります。これは、保守党と労働党が選挙で戦い、選挙に勝利した保守党は、党首のキャメロンさんが総理大臣になり、そのほかの党員も大臣となって内閣を組織し、イギリスの政治を担当することができるのですが、選挙に負けた労働党も内閣に対抗して影の内閣を組織することができます。というわけで、選挙に負けた労働党の党首コービンさんは影の首相という役職についています。その他にも影の外務大臣、影の財務大臣なんかもいます。では、なぜこのような仕組みを採用しているかというと、まずは、次回の選挙で労働党が勝利した場合、役職の交代がスムーズにできるというのがあります。そのほかにも例えば、教育問題について、正式の教育大臣はこんなこと考えているけど、影の教育大臣はこんなこと考えているという風に、各政党の各分野の政策について、国民から見て比較がしやすいというのがあります。つまり、選挙に負けたら簡単に政権交代されてしまうし、国民から見てもわかりやすいから、お互い国民のための政治を行わなければいけないと、次の選挙でひどい目にあうという面白い仕組みです。

4.アメリカの政治制度
 次は大統領制のアメリカです。

元首 大統領 ・国民による間接選挙(大統領選挙人選挙)で選ばれる。
・任期4年、三選禁止。
・軍の最高指揮権も持つ
政党 二大政党制 民主党=主に労働者などに支持される。
共和党=主に経営者などに支持される。
立法権 議会 上院(元老院)=州の代表。各州より2名ずつ選出される。定数100名。任期6年。2年ごとに3分の1ずつ選挙。
★大統領に対して、高官任命同意権・条約締結同意権と弾劾裁判権を持つ
下院(代議院)=国民の代表。人口の多い州からは多数、人口の少ない州からは少数選ばれる。定数435名。任期2年。
★予算の先議権と、弾劾裁判訴追権を持つ
行政権 大統領 大統領+長官  ⇒国会議員との兼任は禁止
・大統領は議会が制定した法律に対して拒否権をもつ。
 ※ただし上下両院が3分の2以上の賛成で再可決した場合、拒否権は無効となる(オーバーライド)。
・大統領は議会に教書を提出し、議会に対して政治のアドバイスを行う。
・大統領が悪いことをしたとき、議会は大統領を辞めさせるための弾劾裁判を行うことができる。
⇒議会と内閣が完全に独立し、お互いをチェックし合う。(モンテスキューが理想とした完全な三権分立
司法権 裁判所 ・国民の中から選出された陪審員が裁判を行う陪審裁判が行われる。
・憲法に違反する法律や大統領命令を無効にすることができる違憲法令審査権(違憲立法審査権)世界で初めて認める。

 まず、アメリカの元首は大統領。しかも、大統領は行政権のリーダーでもあります。つまり、イギリスの国王と首相の両方の権力を持ったのがアメリカの大統領ということができます。そして、その国家元首の大統領は選挙で選ばれます。アメリカの子どもたちにとって、大統領というのはあこがれの職業だそうです。ただ、アメリカの大統領選挙はアメリカ人みんなで投票して一番票を獲得した人が当選という単純なものではなく、アメリカの各州(+首都ワシントンDCの51選挙区)で選挙を行い。それぞれの州で勝利した候補者に、各州の人口に比例して配分される大統領選挙人が配分され、大統領選挙人をより多く獲得した候補者が大統領になるという変な間接選挙の仕組みを採用しています。おそらく、今の説明でわかった人はほとんどいないと思いので、一応詳しく説明します。

 ~アメリカ大統領選挙のしくみ~
①人口に比例して、各州に大統領選挙人という人がいます。
 例:カリフォルニア州55名、テキサス州34名、ニューヨーク州31名、フロリダ州27名…アラスカ州3名、バーモント州3名(人口の多い州は多く、人口の少ない州は少ない、合計538名)
②各州で選挙を行い、各州で勝敗を決めます。
 例:カリフォルニア州=オバマ候補の勝ち! テキサス州=ロムニー候補の勝ち!
③大統領選挙人は、首都ワシントンに出かけ、自分の州で勝った候補者に投票します。
 つまり、その州の選挙に勝つと、その州の大統領選挙人の票を全て獲得したことになる。
 例:カリフォルニア州で勝ったオバマ候補=カリフォルニア州の55票獲得
   テキサス州で勝ったロムニー候補=テキサス州の34票獲得

 というわけで、全ての州の勝敗の結果、より多い大統領選挙人を獲得した候補者が、大統領に当選ということになります。ですので、2012年の大統領選挙では、民主党のオバマさんが27州で勝利し332票、共和党のロムニーさんが24州で勝利し206票を獲得し、オバマさんが二度目の当選を果たしました。
 そんなオバマさんですが、二度目の当選を果たしたということは三度目の大統領選挙の立候補はできません。つまり、大統領の任期は4年三選禁止というルールがあるからです。これは、特定の人が大統領に居座って独裁政治になるのを防ぐためです。よって2016年11月の大統領選挙では確実に新しい人物が大統領に当選することが決定しています。

 さて 、それではイギリスのところで、後回しにしておいたところの説明です。議院内閣制を採用しているイギリスや日本と違い、アメリカはモンテスキューが主張した三権分立をもっとも厳格に採用している国といわれ、アメリカの政治は立法権(議会)と行政権(大統領)と司法権(裁判所)が完全に独立して仕事を行っています。
 例えばイギリスでは、キャメロン首相が下院の国会議員を兼ねていることからわかるように、行政権(内閣)の首相と大臣たちは立法権(議会)の国会議員を兼任しています。ちなみに、日本の安倍首相も衆議院議員(国会議員)を兼ねています。しかし、アメリカの行政権のリーダーである大統領は、国会議員を兼任することはできません。大統領の下で働く長官も同じです。ですので、大統領になる前は上院議員(国会議員)だったオバマさんも、上院議員を辞任してから大統領選挙に立候補しました。
 そして、イギリスや日本では内閣が「こんな予算・法律を作ってください!」と予算案や法律案を議会に提出し、内閣と議会が協力して法律や予算を完成させる仕組みが整っているのに対し、アメリカ大統領は、議会に予算案や法律案を提出する権限を持たず、「こんな法律作って欲しいな…」と提案するだけの教書という手紙みたいなものを書く権限しかありません。しかもこの教書には法的拘束力はないので、議会はその気になれば大統領の提案を無視することができます。このようなルールから、アメリカの行政権と立法権は完全に独立していることがわかります。

 大統領と議会がお互いをけん制するための権限も持っています。まず議会は、大統領が悪い政治を行った場合、弾劾裁判を行って、大統領を辞めさせることもできます。ただ、この弾劾裁判実際に行われたのは1864年のジャクソン大統領と1998年のクリントン大統領の2回だけです。ジャクソン大統領は黒人差別の疑い、クリントン大統領は不倫が原因という恥ずかしい理由でしたが、両者とも無罪を勝ち取り、大統領を辞めなくてすみました。ただ、1972年には、共和党のニクソン大統領がライバルの民主党本部ビル(ウォーターゲートビル)に、盗聴器を仕掛けようとしたことがばれたときには、明らかな犯罪を大統領が行っているので、弾劾裁判により初めて大統領が辞めさせられるか注目されましたが、ニクソン大統領は弾劾裁判にかけられて辞めさせられる恥よりも、自ら辞任することを選びました。この事件のことをウォーターゲート事件といいます。その結果、弾劾裁判によって辞めさせられた大統領は歴史上一人もいません!

 そして大統領は、議会が制定した法律が気に入らなかったらボツにできる拒否権を持っています。というわけで、議会は大統領に対して弾劾裁判権、大統領は議会に対して拒否権をちらつかせることにより、お互いの権力の暴走を防ごうとするわけです。
 ただ、そんな話をすると、議院内閣制の日本でも、内閣は衆議院(国会)の解散権、衆議院は内閣の不信任決議権をもち、お互いをけん制することができているから同じじゃないか! と思う人がいるかもしれませんが、アメリカの弾劾裁判権や拒否権が一方的であるのに対し、日本やイギリスの不信任決議権、解散権は自分にも返ってくるという特徴があります。例えば、日本の衆議院が内閣不信任決議を可決し、内閣を総辞職させた場合、内閣は仕返し(?)として、衆議院を解散し、衆議院議員も全員辞めさせて道連れにすることができるのです。つまり、アメリカの弾劾裁判権は「あいつは悪いやつだから辞めさせてやろう!」というニュアンスなのに対し、日本の不信任決議権と解散権は「我々が悪いから一緒に辞めて責任をとろう!」というニュアンスになります。このニュアンスがわかってくると、立法権と行政権が仲よしこよしの議院内閣制と、立法権と行政権が対立して仲が悪そうな大統領制という違いが見えてくるのでしょうか? 

 最後にアメリカの裁判所です。アメリカの裁判所は一般人から選ばれた陪審員が裁判に参加する陪審制度を採用しています。一般人が裁判に参加することについては、日本でも裁判員制度が導入されたのでみなさんもイメージできると思いますが、日本の裁判員制度が裁判員(一般人)と裁判官が一緒になって判決を下すのに対し、アメリカの陪審員制度は陪審員(一般人)だけで判決を下すという違いがあります。まあ、このあたりの詳しい違いは7時間目の裁判所のところで解説します。

 そして、アメリカの裁判所は世界で初めて違憲法令審査権(違憲立法審査権)を持った国です。違憲法令審査権とは議会が憲法に違反する法律を作ったり、大統領が憲法に違反する命令を行った場合、裁判所が裁判の段階で、それらを無効にすることができる権限です。この権限はマーベリ対マジソン事件という裁判の後に判例で認められました。まさに、モンテスキューが理想とした、立法権、行政権の権力が暴走しないように、司法権(裁判所)が持った権限であると言うことができます。

5.フランスとドイツ
 次にフランスとドイツを一気にやります。この2つの国の特徴は、大統領制と議院内閣制を合体させた政治を行っているところです。どういうことかというと、フランスとドイツには大統領と総理大臣が両方います

  大統領 権力 首相
フランス 国家元首
行政権のリーダー
> 大統領に任命され、
議会と大統領をつなぐ役割を果たす。
ドイツ 国家元首
形式な仕事をするだけ
< 議会の中から選ばれる
行政権のリーダー

 ただ、フランスとドイツの政治体制の違いは、フランスは大統領の権限が強く、アメリカの大統領制に近いのに対して、ドイツの大統領はイギリスの国王や日本の天皇のように形式的な仕事を行うだけで、政治上の権限は首相が持つため、イギリスの議院内閣制に近い形になります。まあ、ドイツは日本で言う天皇が大統領であり、天皇のような存在が国民の中から選ばれると思ってください。
 大統領と首相両方いるなんてややこしいなあ、と持った人もいるかもしれませんが、実はアメリカのように大統領だけがいる大統領制は韓国や中南米などアメリカの影響を受けた国々にあるものの、大統領と首相両方が存在する国のほうが実は多数派です。まあ、大統領一人に政治を任すよりは、首相もいてお互いが独裁政治を行わないようにけん制し合う、そこにも権力分立の発想があるということです。
 さらに、二大政党制のイギリスやアメリカと違って、ドイツ、フランス、イタリアは有力な政党がたくさんある多党制(小党分立制)の国です。だから、1つの政党が議会で半分以上の議席を獲得するなんて、まずありえません。というわけで、多党制の国では、考え方の近い政党が協力しながら政治を行う連立政権が普通です。日本でも今、自民党と公明党が連立政権を組んでいるのと同じです。ただ、日本の場合は自民党の力が強すぎて、多党制や二大政党制というよりも一大政党制と言ったほうがいいかもしれませんが…。

6.中国
 社会主義国である中国はモンテスキューの三権分立を採用していません。つまり、中国は立法権全国人民代表大会(日本で言う国会)に権力が集中しており、特定の政治機関に権力が集中する権力集中制(民主集中制)により政治が行われています。そして、全国人民代表大会に出席できるのは共産党の推薦する人のみであり、共産党が政治を行うことが憲法に定められている一党独裁制です。ですので、仕組み上は立法権(全国人民代表大会)が政治を行っているように見えながら、実情は、共産党という党の中で決まったことが国の方針となり、共産党への批判は弾圧され、軍隊でさえ共産党に所属するという政治が行われています。その結果、1989年には民主政治を求める北京大学の学生を中心とする国民の大規模な運動が起きましたが、軍隊に弾圧されて多くの死者を出すという悲しい事件もありました。いわゆる天安門事件です。

 こんな話をすると、中国の政治はけしからん。日本に生まれてよかった。と思う人もいるかもしれません。さらにいうと、世界には中国以上に独裁政治が進み、国を批判する人たちが簡単に殺されてしまう国もたくさんあります。そう考えると、世界中が日本やイギリスやアメリカのような政治を目指せば問題は解決するかというと、そう簡単ではありません。例えば2003年までイラクではフセイン大統領が独裁政治を行っていましたが、イラク戦争でアメリカがイラクに攻め込み、フセインは処刑され、イラクにはアメリカが支援する政府が誕生しましたが、この政府はうまく国民をまとめることができず、国内の広い地域がIS(イスラム国)に支配されるなど、逆にイラクは大混乱となってしまいました。その時世界は、イラクという国はフセイン大統領の恐怖政治により実はまとまっていたことを実感しました。そういう国と比べれば、確かに日本は民主国家だと思いますが、そんな中でも日本の政治家が本当に民主的な、国民の幸せを考えた生活をしているでしょうか? 選挙目当てや自分の名声のためだけの政治をしていないでしょうか? もちろんフセイン大統領の独裁政治を肯定するつもりはありませんが、政治は決して白と黒、善と悪と単純に分けることができるものではないことも知っておく必要があります。
 
7.大日本帝国憲法
 それではとうとう日本の政治の話に入ります。まずは憲法のお話からです。日本では1889年に伊藤博文たちにより大日本帝国憲法(明治憲法)が作られましたが、この憲法は残念ながら、欠点だらけの憲法でした。では、何がいけなかったのかを、現在の日本国憲法と比較してみることにします。

  大日本帝国憲法(明治憲法) 日本国憲法
成立 1889年2月11日発布(国民に発表)
1890年11月29日施行(実際に使い始める)
1946年11月3日公布(国民に発表)
1947年5月3日施行(実際に使い始める)
特徴 君主(天皇)の力によってつくられた欽定憲法 国民の力によってつくられた民定憲法
主権 天皇主権
・天皇が立法権・行政権・司法権全てを握る(総攬する)
 ★立法権(帝国議会
  =天皇の協賛機関(天皇に協力し賛成するだけ)
   ※帝国議会は衆議院と貴族院の二院制
 ★行政権(内閣)
  =天皇の輔弼機関(天皇を補い助けるだけ)
 ★司法権(裁判所)
  =天皇の名において裁判(天皇の命令どおりの裁判)
 ★天皇が軍隊の最高指揮権(統帥権)をもつ
国民主権
・天皇は象徴にすぎない。
人権 臣民の権利(天皇からいただいた権利)として保障。
・法律により国民の権利を制限できる。(=法律の留保⇒国民の権利を制限する治安立法(治安警察法、治安維持法)が制定される。
・人権を、生まれながらにもった基本的人権として、現在だけでなく将来にも保障。
義務 納税の義務、兵役の義務
教育の義務(教育勅語によって、あとで付け加えられる)
納税の義務、勤労の義務
保護する子女に普通教育を受けさせる義務
その他 ・プロシア(現在のドイツ)の憲法を模範につくられる。・地方自治に関する規定がなく、地方の知事は天皇に任命され、中央政府の内務大臣が指揮監督した(中央集権体制)。 ・GHQ(アメリカ軍)主導で作られる。
・三つの基本原則国民主権、基本的人権の尊重、平和主義

 大日本帝国憲法(明治憲法)は、天皇の力が強すぎて、国民の権利がすごく制限されていました。いちおう、モンテスキューの三権分立を取り入れているようには見えるけど、帝国議会(今の国会)は、天皇に協力し賛成するだけの協賛機関とされていたし、内閣も天皇を補い助けるだけの輔弼機関とされていたし、裁判所天皇の名において裁判すると規定され、国民主権ではなくまさに天皇主権の憲法でした。このように、立法権、行政権、司法権全てを握ることを総攬するといいます。さらに、天皇は軍隊の最高指揮権である統帥権まで持っていました。
 しかも、国民の権利も、現在では全ての人たちが生まれつきもった当然の権利(基本的人権を持っていると考えられているのに対し、明治憲法のもとでは、日本国民の権利は天皇からもらった権利である臣民の権利に過ぎず、天皇の命令があれば、人々は生きる権利も奪われ、第二次世界大戦中のカミカゼ特攻隊のように、天皇のために命を落とすことも強制させられました。さらに国民の権利は法律の留保と言う規定により、法律により制限しても良いことになっていたため、政府に批判する思想を持った人を逮捕、処刑できる治安維持法なんてとんでもない法律が1925年に制定さました。そのため、第二次世界大戦中は政府を批判したり、国民の権利を訴えたため、警察に逮捕され、拷問され、殺された人がたくさんいました。漫画「はだしのゲン」の1巻でも、政府の戦争政策を批判したゲンのお父さんが拷問に合っています。これもまさに治安維持法のせいです。
 第二次世界大戦終結後、日本を占領したアメリカ軍を中心とするGHQ(連合国軍総司令部)マッカーサーは、日本が軍国主義化してしまった原因の一つに大日本帝国憲法があると考え、日本を民主化するため、新憲法を制定することを日本政府に提案します。

8.日本国憲法の成立
 では、大日本帝国憲法に代わって日本国憲法が作られていく流れを見ていきましょう。

年号・日付 事件 内容
1945 8月15日 第二次世界大戦終結 アメリカ,イギリス,中国が日本の降伏を求めたポツダム宣言を受け入れる。⇒アメリカ軍を中心とするGHQ(連合国軍総司令部)が日本を占領。 ※GHQの最高司令官がマッカーサー
10月11日 憲法問題調査委員会結成 GHQが日本政府に憲法改正を提案し、憲法問題調査委員会を結成。
1946 2月 8日 松本草案完成 憲法改正の意欲がない日本政府は、大日本帝国憲法の言い回しを変えただけの憲法案を完成させる。
2月12日 マッカーサー草案完成 GHQ自らが新しい憲法の案を作り、日本政府に提出。
 ⇒この案が、日本国憲法の原案となる
 ★マッカーサー三原則=天皇制の存続、戦争放棄、封建制度の廃止
 ※日本の学者が結成していた憲法研究会の案も参考にする。
4月10日 男女普通選挙実施 日本で初めて、女性にも選挙権、被選挙権が与えられる。
6月20日 第90回帝国議会 ・大日本帝国憲法下における最後の帝国議会。初めて女性の国会議員も参加。
大日本帝国憲法を改正する手続きに従い、日本国憲法の作成について話し合う。
11月 3日 日本国憲法公布 完成した内容を国民に発表する。
1947 5月 3日 日本国憲法施行 日本国憲法を使って実際に政治を始める。


 ここでのポイントは、日本国憲法の案はアメリカ軍(GHQ)が中心となって作られたということです。しかし、最初、アメリカは日本政府に新しい憲法の案を作ることを提案しています。それに従って、日本政府は憲法問題調査委員会を結成し、新しい憲法案を作らせたのですが、この憲法問題調査委員会のメンバーというのが、委員長の松本丞治さんをはじめ、「もともと憲法なんて変えなくていいだろ」と思っている人たちばかりだったため、彼らは松本草案という、とてもやる気のな~い憲法案を作りました。では、どれほどやる気がなかったかというと、例えば、
 (大日本帝国憲法)天皇は神聖にして侵すべからず ⇒ (松本草案)天皇は至尊にして侵すべからず
 (大日本帝国憲法)天皇は陸海軍を統帥す ⇒ (松本草案)天皇は軍を統帥す
といった感じです。つまり「飛垣内先生はブサイク」という表現を「飛垣内先生はキモい」と変更したとしても、言葉は変わっているけど、言ってることは同じです。まさに、松本草案は天皇主権の大日本帝国憲法の言い回しを変えただけの、やる気のない憲法でした。
 松本草案がこんなやる気のない案であるということを、マッカーサーは松本草案が提出される前の2月1日に毎日新聞のスクープで知って激怒しました。そこでマッカーサーはその松本草案を受け取る予定であった2月12日までに、新たな憲法案を作ることを部下に命令します。その結果、アメリカ軍が中心となって作られた憲法改正案マッカーサー草案です。
 アメリカはこのマッカーサー草案をもとに、日本の帝国議会(今の国会)で新しい憲法について話し合わせました。実は、それまでの帝国議会は男性にしか選挙権も被選挙権もありませんでしたが、この帝国議会を開く前に、アメリカ軍は女性にも選挙権と被選挙権を、日本で初めて認めました。その結果、39人もの女性の国会議員も誕生しています。そして、男女が揃った帝国議会で話し合った結果、いくつかの修正を加え、1946年11月3日に日本国憲法が公布、半年後の1947年5月3日に施行されました。その結果、帝国議会も国会に名前が変わります。
 このように、日本国憲法はアメリカ軍が作ったマッカーサー草案を原案として作成されたため、「日本国憲法はアメリカ軍からの押しつけ憲法だ!」と批判する人たちがいます。それはそれで間違いではないのですが、ただ、マッカーサーたちはこの憲法案を作るときに、日本人の学者たちが作った憲法研究会が作成した憲法案をかなりの面で参考にしていることや、その後の日本政府との話し合いや、国会での審議の中で、日本人が修正していった条文もいくつかあります。例えば、マッカーサー草案ではもともと国会は一院制でしたが、日本政府の提案により衆議院と参議院の二院制になったことや、憲法25条の生存権が付け加えられたことなどがその例です。さらに、この新しい憲法が当時の国民にも大歓迎されたことからも、100%押し付けられたとは言い難いのではないのかと思います。

 それでは、次回から、憲法の内容について長々と語っていくわけですが、その前に、どこの単元でも触れる機会のない日本国憲法の特徴を3つほど補足説明しておきます。

 まずは、日本国憲法は国の最高法規です。つまり、日本にはたくさん法律があるけれど、全ての法律の中で最も重要な法律が憲法ということになります。ということは、最高の法律である憲法に違反するような法律は無効です! だから、日本の裁判所はアメリカの裁判所と同じく憲法に違反する法律をチェックし無効にすることができる違憲立法審査権(違憲法令審査権)を持っています。

 次に天皇についてです。大日本帝国憲法の時、天皇は巨大な権力を握っていましたが、日本国憲法において天皇は全ての権力を奪われ、象徴に成り下がってしまいました。というわけで、天皇は政治上の権限を一切持たず、形式的、儀式的な仕事である国事行為を行うだけになりました。国事行為とは、例えば国会が始まる前にあいさつ文を読んだり、内閣総理大臣に委任状を渡したり、外国からの重要なお客さんをおもてなしすることなどです。しかも、天皇は何をするにも内閣の助言と承認が必要なので、わざわざ内閣に許可を取りながら行動しなければなりません。

 最後に憲法の改正についてです。日本国憲法は改正し辛い硬性憲法として有名です。というか、改正する方法が難しすぎて、憲法が制定されてから約70年もの間、一度も改正されていないという世界的にもなかなか珍しい憲法になってしまいました。つまり、日本国憲法を改正するためには ①国会で総議員の3分の2以上の賛成を得たあと、②国民投票で過半数の賛成を得るという2つのハードルを越えないといけません。これについては、そもそも衆議院、参議院両方で同じ政党あるいは同じ考えをもった政党で3分の2以上の議席を占めるというのがなかなかの難題で、いままでにこの第一段階すらクリアされたことすらありません。
 ただ、2007年の第一次安倍内閣の時に憲法改正の時にどのような国民投票を行うのかを示した国民投票法が制定され、これに伴い、憲法改正についての審議を行う憲法審査会も設置され、このあたりから少しずつ憲法改正が現実的になってきました。特に憲法9条の改正は安倍首相最大の悲願と言われています。そんな中、2016年7月の参議院選挙の結果、安倍首相の自民党と連立与党の公明党などの憲法改正勢力が、衆議院、参議院両方で3分の2以上の議席を確保しました。これにより史上初の憲法改正がとうとう行われることになりそうです。では、どの条文がどのようの議論により改正されることになるのか…注目しましょう!
 なお、2007年に国民投票法が制定された時、憲法改正の投票権は18歳以上に与えるように規定されました。その流れを受ける形で2015年にすべての選挙権が18歳以上に与えられることになりました。

2016年4月30日