1時間目:民主政治

 それでは授業を始めます。まずは政治分野の授業からです。最初に現代の民主政治を支える基本的な「政治理論」について説明します。いきなり面白くなさそうな単元ですが、ここの単元を押さえておかないと、2時間目以降の政治の話が分かりづらくなりますので、頑張ってついてきてください!

1.国家の三要素

 現在では、国連に加盟している国だけでも193の国があり、これらの国でそれぞれ「政治」を行っています。まず、「国」という存在がどんな存在かというと、これについてはドイツの法学者イエリネックが、「この三つがそろったら国が成立する」という国家の三要素を定義しています。

 ★国家の三要素 領域=領土、領海、領空
           国民=そこに住む人
           主権=政治をする力

 これら三つのうち、領域国民は「そりゃ国には当然あるよね」という感じなのですが、主権という言葉がイメージしづらいのではないでしょうか? 簡単に言ってしまえば「主権=政治をする力」のことなのですが、ここでいう主権には三つの意味があるとフランスの政治学者ボーダンが言いました。

 ★主権の三つの意味  最高意思決定権=国の方針を最終的に決定する力
            領域支配権=国民や領域を支配する力
            最高独立性=誰にも干渉されない独立した力

 ますますわかりにくいぞ! と、言いたい人もいるでしょうが、まとめて説明すると、政治をする力(=主権)とは、政治家がどんな政治を行うかを決定し(=最高意思決定権)、その決定した内容を領域内の人々に命令して従わせ(=領域支配権)、その内容については外国や反対勢力に文句を言わせない(=最高独立性)という感じでしょうか? あまり深く悩まず、イメージできたらOKとしましょう。

 ちなみに、ボーダンはこのように主権を定義し、主権というものを重要視した点では政治学的に素晴らしいのですが、このような考えを使って、「そんな主権を持つ国王には絶対に従わなければならない」と考え、絶対王政(=王様による独裁政治)を認めてしまった点では、あまり素晴らしくありません

2.民主政治の歴史

 そんな「主権」を使って、世界中の国々が「政治」を行っているわけですが、ほぼすべての国々で目指している理想の政治、それが「民主政治」です。民主政治とは何か? と聞かれるとなかなか答えづらいのですが、そんな民主政治という言葉をうまく説明してくださった政治家がいます。それがアメリカ大統領リンカーンです。彼は南北戦争の激戦地ゲティスバーグでの演説で、民主政治をこう表現しました。「国民の国民による国民のための政治(the government of the people by the people for the people)」。つまり、国民の力によってつくった政府が(国民の)、国民が政治を行うことにより機能し(国民による)、その内容は国民の幸せを考えたものになる(国民のための)。それが民主政治です。イメージできましたか?

 では次に、そんな民主政治がどのような歴史をたどって成立してきたのかを見てみましょう。重要なのがイギリスアメリカフランスの3か国です。これらの国では市民が団結して独裁政治と戦う市民革命により、民主政治を勝ち取りました。イギリスの市民革命は清教徒革命(ピューリタン革命)名誉革命、アメリカはアメリカ独立戦争、フランスはフランス革命です。

 ●イギリス

年号 事件 内容
1215 マグナ・カルタ 暴君ジョン王に対し,貴族が団結し,国王の力を弱めるための法律。
⇒国王から課税権と逮捕拘禁権を奪う。
1628 権利請願 暴君チャールズ1世に対し,裁判官エドワード・コークらが、マグナ・カルタの基本に戻るように,要求した文書。
⇒この要求をチャールズ1世は守らなかったため,清教徒革命が起こる!
1642 清教徒革命
(ピューリタン革命)
市民により,チャールズ1世が処刑され,市民の代表者である議会による政治を始める。
⇒しかし、市民の代表であるはずだったクロムウェルによる独裁政治のため,その後、国王による政治に戻る。
1688 名誉革命 暴君ジェームズ2世(チャールズ1世の子)を、市民による圧力により一滴の血も流すことなく(=名誉!)辞めさせ,国王を国外に追放。
⇒オランダに住むメアリー2世とオレンジ公ウィリアム(イギリス国王の親戚)を国王に迎え,議会による政治さらに進める!
1689 権利章典 名誉革命の成果として、議会政治、王権の制限など、その後のイギリスの方針を示した歴史的文書

 イギリスでは1215年、ジョン王という王様(国王)が独裁政治を行っていました。独裁政治を行うために必要なのは「課税権」と「逮捕拘禁権」です。つまり、王様が「お金欲しいな」と思ったら「課税権」を使って、国民から税金をしぼり取ってぜいたくな暮らしができるし、そんな王様の政治を批判するやつらが出てきたら、王様は「逮捕拘禁権」を使ってやつらを監獄に入れたり、処刑してしまうこともできる。まさにジョン王はこんな政治を行っていました。

 そんな中、ジョン王の政治に嫌気がさした貴族たちが団結して、ジョン王を脅し、マグナ・カルタという法律を認めさせました。その主な内容は「王様から課税権と逮捕拘禁権をとり上げる」というものでした。そして、ジョン王はこの法律に嫌々ながらも従い、このマグナ・カルタの考え方が、その後のイギリス政治の基本方針となりました。

 しかし、約400年後、久しぶりに独裁者が誕生します。チャールズ1世です。彼はマグナ・カルタで禁止されたはずの「課税権」「逮捕拘禁権」を使い、立派な(?)独裁政治を行おうとします。そんな中、裁判官エドワード・コークたちが中心となって権利請願という、言うなれば王様に宛てた手紙のようなものを書きました。これは「王様、独裁政治はやめてください。マグナ・カルタでジョン王が約束したことを思い出してください!」というような内容のものでした。そしてしばらくは、チャールズ1世もこの権利請願の提案を受け入れ、いい子にしている時期もあったのですが、結局この権利請願の約束も守られなかったので、1642年、とうとう市民の怒りが爆発しました。清教徒革命(ピューリタン革命)です。この革命は清教徒(ピューリタン)というキリスト教の一派の人たちが中心となって起こしたのでこう呼ばれています。市民たちは団結してイギリス政府軍と戦い、チャールズ1世は市民が見守る中、まさかりでクビをちょん切られて、処刑されてしまいました。市民の勝利でした!

 そして、イギリスはこの時、市民の代表者が集まる議会が中心となって政治をする議会政治を行おうとします。しかし、このとき、市民代表として権力を握ったクロムウェルという人物が、独裁政治を行ってしまったため、イギリス国民たちは「ちぇっ! こんなことならまだ王様による政治のほうがよかった」と思うようになり、結局王様による政治が復活してしまいます。この出来事を王政復古といいます。

 しかし、その王様も結局、独裁政治を行ってしまいます。特にあのクビをちょん切られて死んだチャールズ1世の息子ジェームス2世は、お父さんを見習った独裁政治を行おうとします。その結果、ジェームス2世は国民どころか周りの家臣からも嫌われてしまい、本人の知らない間に、彼の家臣たちは、国王の娘メアリー2世とその夫オレンジ公ウィリアムに「ジェームス2世に代わって新しい王様になってください」という手紙を書いてしまいました。その手紙を受けて、オレンジ公ウィリアムは軍隊を引き連れてイギリスにやってきます。ジェームス2世は戦おうとするのですが、イギリス国内に誰も味方してくれる人がおらず、仕方なくイギリスから逃亡。その結果、メアリー2世とオレンジ公ウィリアムが新しい国王になり、独裁政治をやめさせることができた。これが名誉革命です。つまり、人が戦争で死にまくり、国王までクビをちょん切られた清教徒革命と違って、この革命はだれも死ぬことなく平和的に達成できたとっても「名誉」な革命よね! ということで名誉革命という名前が付いています。 そして、名誉革命の次の年、イギリスは権利章典を発表します。この権利章典によりイギリスは本格的な議会政治が始まり、国王の権力は制限されました。そして、この権利章典が今もイギリスにおいて、議会政治の中心的な法律となっています。

 ●アメリカ

年号 事件 内容
1775 アメリカ独立戦争開戦 ワシントン(初代大統領)を中心にアメリカ13州がイギリス政府からの独立を勝ち取るために戦う。 ⇒1783年に終結し独立達成!
1776 バージニア権利章典 アメリカのバージニア州が作った,世界で初めて基本的人権の保障を条文に盛り込んだ憲法。 ⇒その後の世界の憲法の見本になる。
1776 アメリカ独立宣言 イギリスの植民地支配に対し、アメリカ13州がイギリス政府からの独立戦争を起こし、イギリスからの独立を宣言する。
1787 アメリカ合衆国憲法 連邦制・民主主義・三権分立制を基本原則とした現代民主主義における憲法の中では最初の成文憲法。 ⇒この時点では、奴隷制を認めるなど不十分な点もあったが、その後修正されて現在に至る。

 次はアメリカです。かつてのアメリカはイギリスの植民地でした。しかし、アメリカ独立戦争によりイギリスからの独立を勝ち取ります。このとき、まずアメリカに13州あった州のうちバージニア州が1776年6月にバージニア権利章典を作りました。これは人間が自由・平等に生きることを当然とした基本的人権を憲法に盛り込んだ世界初の本格的な憲法として有名です。さらに1776年7月4日、ジェファーソンが中心となって起草したアメリカ独立宣言を発表し、イギリスからの独立を宣言しました。この独立宣言発表後も、しばらくはイギリスとの戦争は続いたのですが、アメリカ独立宣言が発表されたこの7月4日がアメリカ独立記念日(インディペンデンス・デイ)として、今も祝日となっています。

●フランス

年号 事件 内容
1789 フランス革命 国王ルイ16世の独裁政治に対して国民が立ち上がり,ルイ16世を処刑し,議会による政治を始める。
1789 フランス人権宣言 フランス革命の成果として、議会がまとめた歴史的文書。フランスの民主政治の出発点となった。

 最後にフランスです。フランスは1789年のフランス革命のとき、お坊ちゃまのルイ16世とその奥さまマリー・アントワネットによる独裁政治が行われていました。彼らの興味は政治よりも、趣味の時計や宝石集め。豪華なドレスや食事、毎日のパーティーに明け暮れる生活だったので、彼らがぜいたくな生活を送るために増える税金に国民は嫌気がさし、市民革命が起こってしまいました。そんな私のフランス革命の教材は漫画「ベルサイユのバラ」です。みなさんも読んでみてください。その結果、ルイ16世とマリー・アントワネットはギロチンで首をちょん切られて処刑され、フランスでも議会政治がスタートしました。そして、そのフランス革命の成果を文書にまとめたのがフランス人権宣言です。

3.社会契約説

 次に、これらの市民革命を支えた政治思想についてお話します。まずは社会契約説です。私は、大学生4年生の教育実習の時、この社会契約説について授業をさせられ、かなり苦しい思いをしました。その結果、政治経済を教えることに自信を無くし、先生になるのを辞めようかとも思いましたが、実際に教員になってみると、この分野は政治経済の授業の中でも教えるのが一番難しいことに気づき、そんな難しい分野を教育実習生に押し付けた担当の先生を恨むと同時に、こんなことで先生になるのをあきらめようとしていてなんて危ないところだったと思いました。

 社会契約説はそれほど理解するのに時間がかかるところなので、じっくりと勉強するようにしましょう。

 まず、政治家(王様、殿様、将軍、大統領、総理大臣etc.)たちは偉そうに、私たちに命令してきます。そして私たちはその命令に従ってしまいます。なんでですか? これについて、イギリスの政治学者フィルマーはこう考えました。「王様の命令には絶対に従わなければならない。なぜなら王様の政治権力は神様からもらった神聖なものである。王様は神様の依頼に基づき、政治を行っているのだ。だからもし、王様にはむかえば、それは神様にはむかうことを意味する!」

 この考えを王権神授説といいます。絶対王政の下のヨーロッパで、国王たちはこの王権神授説によって自分たちの独裁政治を正当化しました。

 しかし、王様の権力が神様から与えられたものであることに疑問を持つ人たちが出てきました。その代表者が、ホッブズ、ロック、ルソーの3人の政治学者です。彼らは政治権力というものは神様が与えたものでなく、国民が与えたものであると考えました。これが社会契約説です。つまり、政治家は国民(社会)の許可(契約)に基づいて政治を行うと考えました。そして彼らに共通するのは、まだ、政府がなかった太古の昔(自然状態)を想像し、そこからどういう風にして、国民が政治権力を政治家に与えていったのかをストーリーとして説明してきたこと。さらに、3人は人間には生まれながらに持つ権利、自然権があるとも考えました。大切なところなのでもう1度まとめます。

社会契約説

①彼らは政治家の権力は神から与えられたものではなく、国民から与えられたものだと考えた。
②彼らは、政府のない状態(自然状態)を想像し、そこからどういう過程を経て国民が政治家に権力を与えたかを説明した。
③彼らは、人間には生まれながらにして持つ自然権があると考えた。


 そして、この3人に考えた方には微妙な違いがあります。この違いさえわかれば社会契約説は合格です。では説明します。

政治学者 ホッブズ
《イギリス》
ロック
《イギリス》
ルソー
《フランス》
著書 『リヴァイアサン』 『市民政府二論』 『社会契約論』
自然権 生命権(自己保存の権利) 生命権・自由権・財産権 生命権・自由権・平等権
自然状態 お互いが殺し合い、奪い合う、「万人の万人に対する闘争の状態 平和な状態 純粋な感情に従った、素朴で平和な状態
理由 自分たちの生命を守ってもらうために政府を作る。 自分たちの生命・自由・財産を守り、平和を維持してもらうために政府をつくる。 個人の心に欲望が芽生えてくると、平等な状態が崩れてしまうので、平等な世の中を実現するために政府をつくる。
理想の政府 国王
(国王による絶対王政)
国王に守ってもらうのだから、国王の命令には絶対に服従。
議会
(国民の代表者)
もし議会が正しい政治を行なわれなければ、国民は抵抗権(=革命権)により、新しい政府に作りかえることができる。
直接民主制
(国民全員による多数決)
国民全員の幸せを願う人たちによる多数決の結果(=一般意思)に従って政治を行なう。
影響 結局、絶対王政を正当化してしまったが、権力を、国民が与えたものであると考えたところに意味がある。 名誉革命を正当化し、アメリカ独立宣言に大きな影響を与える。 国民主権を主張し、フランス人権宣言に大きな影響を与える。

 

 ●ホッブズ
 ホッブズは、人々は自然権として生命権(生きる権利)をもっており、もし政府がなかったら、世の中は「万人の万人に対する闘争状態」になると考えました。つまり、生きる権利を持っているとは言っても、人々がどんな手段を使っても自分「だけ」が生き抜くことを考えたら、他人の食べ物を奪ったり、他人を殺したりするような無茶苦茶な、漫画北斗の拳の世紀末みたいな世界になると、ホッブズは考えました。こんな状態ではいつ殺されるかわからず不安です…。そこで人々は政府を作り、政府に自分たちの命を守ってもらおうと考えます。このような理由で、政府ができるわけです。そして、人々の依頼により作られた政府は、みんなの命を守るために政治を行うというわけです。

 ここまで聞くと、なるほど…ホッブズって賢い! と思うかもしれません。しかし、ホッブズの話には続きがあります。まず、ホッブズはそんな政治を行うのは国王がふさわしいと考えました。あれ? そして、国民は、国王にお願いをして自分たちの命を守ってもらっているのだから、自然権である生命権を全て国王に渡して(譲渡)、自由に生きる権利を放棄し、国王の命令には絶対に従わなければならないとも言っています。というわけで、ホッブズは王様の独裁政治を良いことだと言ってしまい、絶対王政を正当化してしまいました。ここは残念です。ただ、ホッブズの成果は、国王の権力は神様からではなく国民が与えたものであると言ったこと。この当たりが評価でき、その考え方を次のロックが発展させます。
 ●ロック
 今度はロックです。フルネームでジョン・ロックのほうが覚えやすいと言う人はそっちで覚えておいても良いです。ホッブズは、自然状態を、無茶苦茶な「北斗の拳」のような世界だと言いましたが、ロックは全く逆のことを言いました。ホッブズは人間の本性は悪人であるため、自然状態は無茶苦茶な状態になると考えたわけですが、ロックは、人間とは本来赤ちゃんのように純粋な良い存在であり、政府が存在しなかった自然状態も、とても平和な状態であったに違いないと考えました。まあ「アンパンマン」や「サザエさん」のような、ほとんどがいい登場人物しか出てこない、のどかで爽やかな世界だと考えてください。彼らは生命権(生きる権利)、自由権(自由に生きる権利)そして財産権(自分の財産を持つ権利)という自然権をもち、自由に平和に暮らしています。しかし、そんなのどかな世界にも、中には悪いことを考えて、平和を乱すようなやつらが出てきます。つまり、バイキンマンみたいなやつです。やつらは基本的には少数ですが、彼らのせいでせっかくの平和が乱されます。そこで、人々は政府を作って、政府にそんなやつらを取り締まってもらって、平和を維持してもらおうとする。それが政府のできる理由です。

 ホッブズは国王の政治を正当化してしまいましたが、ロックは違います。ロックは国民の代表者が集まる議会が政治を行うのが理想であると主張しました。すばらしい! しかもロックは議会や国王などの政府が国民の自然権(生命権、自由権、財産権)を守るような政治を行わなければ、人々は抵抗権(革命権)を使って、政府を市民の手によって倒しても良いとも言っています。これはイギリスの名誉革命を正当化しただけでなく、その後のアメリカ独立戦争やフランス革命を引き起こす考え方となりました。
 ●ルソー
 最後にルソーです。ホッブズは無茶苦茶な暴力の世界、ロックは平和ないい子ちゃんの世界が自然状態だといいましたが、ルソーもロックと同じく自然状態は「平和な状態」だと考えます。ただ、ロックとルソーの違いというのは、平和は平和でも「純粋な感情に従った素朴で」平和な状態。う~む? なかなかイメージが難しいですが、ホッブズの自然状態が漫画「北斗の拳」のような無茶苦茶な世界、ロックの自然状態をアニメ「アンパンマン」のような平和な世界と例えるならば、ルソーの自然状態は、国民全員がアニメ「クレヨンしんちゃん」に出てくる「ぼーちゃん」であるかのような世界かな! ねっ、「純粋で素朴」で平和な世界でしょ? まあ、そんな生徒しかいないクラスで授業はしたくないけどね…。

 ルソーによると、このような自然状態では、人々は争いごともなく、自給自足を行いながら、平等に平和に暮らしているのですが、問題は、文明が発達してくると人々がお金などの財産を持つようになり、財産を多く持つものと、持たないものとの格差が出てくることです。そうすると、世の中に貧富の差が発生して、金持ちが貧乏人を支配するようになり、平和で平等な状態が崩れてしまうと、ルソーは考えました。そこで、そんな問題を解決するために、政府を作りみんなを平等な状態に戻してもらおうとします。

 さて、それではだれに政治を行ってもらうかと言うと、ルソーは国王も議会も結局はいい政治は行えないと考えます。我々からすると、議会(国会)は国民が選挙で選んだ人たちで構成されるのだからいい政治が行えそうな気がするのですが、ルソーは議会(間接民主制)を行うイギリスを「イギリス人が自由なのは選挙をする時だけで、選挙が終われば彼らの奴隷になってしまう」と批判します。つまり、国民の代表者だからと言って、国会議員の先生たちがいい政治を行うとは限らないということです。みなさんも、これについては日本の政治家の先生方を見てみても納得してしまう人もいるのではないでしょうか…? というわけでルソーは、正しい政治は、国民が政治を他人に任せるのではなく、国民全員による多数決(直接民主制)でないと行えないと主張しました。つまり、日本の政治だったら、1億2700万人が一つの場所に集まって、多数決を採って政治を行う…。確かにそれだったら国民全員の意見が反映できるかもしれないけど、それを行うのって不可能に近いよね。だからこのことをルソーのリソー(理想)といいます。これは試験には出ません。ただ、国民ひとりひとりの意見を大事にすると言う考え方は大切です。

 さらにルソーは多数決を採るときにこんな注意をしています。「多数決をとる時、人々は自分だけの幸せを考えて手を上げるのではなく、国民全員が幸せになるためにはどうするのがいいのかを考えて手を上げなければならない。」例えば、人口の90%が日本人の日本において、外国人からだけ税金をたくさん取る法律を作るかどうかを多数決で決定するとします。そこで90%の日本人と10%の外国人が自分の幸せだけを考え、多数決をとれば、賛成90%対反対10%でこの法律は残念ながら可決されてしまいます。しかし全員の幸せのこと、ここでは少人数の外国人の幸せのことも考えたらどうなるでしょうか? つまり、90%の日本人も10%の外国人を含めた全員が幸せになるためにはどうすればいいのかを考えて、多数決に臨まないといけないのです! つまり90%の日本人全員がこのことを理解して多数決をとった場合、賛成0%対反対100%でこの法律は否決されるはずです。このように人々が全員の幸せのことを考えながら採った多数決の結果のことを一般意思といいます。一般意思…大切な言葉です。
   自分の利益だけを考えただけの意思表示=特殊意思
   特殊意思に従って行った多数決の結果=全体意思
   全員の利益を考えて行った多数決の結果=一般意思

4.権力分立

 次は、権力分立についてです。まずは図にまとめます。


 権力分立とはもともと、特定の人物や機関が政治権力を独占してしまうと独裁政治になってしまうので、権力をいくつかに分けて、お互いが悪いことをしないようにチェックし合うようにして民主政治を実現しようとする考え(=均衡と抑制、チェック&バランス)です。まずはイギリスのロックが、国王の権力から法律を作る権力である立法権(議会)を分立させ、立法権の力を強くしようとする政治体制を考えました。そして、それを三権分立に発展させたのが『法の精神』の著者フランスのモンテスキューです。そして、現在では日本も立法権、行政権、司法権という三権分立で政治を行っています。ついでに、立法権、行政権、司法権という言葉についても確認しておきましょう。

立法権 法律を作る権力=国会(議会)
行政権 法律に従って実際の政治を行う権力=内閣、大統領
司法権 法律に従って裁判を行う権力=裁判所

 なお、日本では権力分立と言えば、三権分立が一番有名なのですが、広い意味では、国会を衆議院と参議院に分けていることや、国としての政治以外にも地方自治(区市町村、都道府県)にも政治を認めていることも権力分立の考えに基づいています。

5.法の支配と法治主義

 さらに次は法の支配についてです。法の支配の反対が人の支配。つまり、絶対王政の頃は一人の王様(人)が国を支配していたけど、人間ではなく、法律に従って政治をするのがよい政治と考えるのが法の支配です。

 法の支配に関して、有名なエピソードがあります。イギリスでジェームス1世が独裁政治を行っていたとき、ジェームス1世は裁判官たちを集めてこんなことを言いました。「いいか、お前ら、この国で一番えらいのは国王だ! だから、お前たちは俺の命令を聞いて、俺に有利なように裁判を行えよ! わかったか! がはははは…。」こんな感じです。しかし、それに対して、そこにいた裁判官の一人エドワード・コーク(権利請願を書いた人)はこう言いました。「王様、それは違います。政治学者のブラクトンも『王といえども神と法の下にある』と言っています。私たちは王様に従って裁判を行っているのではありません。私たちは神と法律に従って裁判を行っているのです!」

 よく勘違いされるのは「王といえども神と法の下にある」という言葉はブラクトンの言葉であって、エドワード・コークのオリジナルではありません。「だったら偉いのはブラクトンであって、エドワード・コークじゃないじゃん。」と言う人が時々いますが、考えてください。この言葉を王様の前で堂々と言って見せた彼の勇気を! 彼のこの一言のおかげでその後この「法の支配」の考え方がイギリスの伝統的な考えとして根付きました。評価してあげてください。さらに、このときエドワード・コークが言った「法律」とは、イギリスの裁判官が伝統的に裁判を繰り返すことによって、少しずつ作り上げてきた判例法(コモン・ロー)のことを言います。これについては2時間目で詳しく説明します。

 そして、法の支配とよく似た言葉で法治主義というのがあります。この法の支配と法治主義の違い、これを私は高校のテスト、大学のテスト、就職試験の三回も書かされました。それほどテストではベタな問題なのでぜひ説明できるようになっておきましょう。

法の支配 法律に従って政治は行われなければならない。
その法律は国民の権利(自然権)を守るものでなければならない。
イギリスの伝統的な考え
法治主義 法律に従って政治は行われなければならない。
法律に従って行政権(内閣)が政治を行うことが重要なだけで、その法律が別に変な法律であっても気にしない(=「悪法も法なり」)。
ドイツの伝統的な考え

 つまり、「法律に従って政治を行う」という点では、2つとも意味は同じなんですが、「すばらしい法律に従って政治を行う」か「とにかく法律に従って政治を行う」かが、両者の大きな違いです。言い換えるならば、法の支配が法律の「内容」も重視するのに対し、法治主義が法律に従うという「行為」を重視しているとも言えます。そうなると、法の支配のほうがどちらかというと素晴らしい考え方のように思えます。そう考えると、法治主義の伝統に従って政治を行っていたドイツで、全権委任法のようなヒトラーに全ての権力を与える法律や、ユダヤ人を大量虐殺することを肯定するニュンベルク法ができてしまった理由もわかるような気がします。

6.自由権と社会権

 社会契約説のところでいろいろな権利が出てきましたが、権利の種類について説明しておきます。まず、市民革命の頃によく主張されたのが自由権です。つまりこの頃は、王様の権力が強すぎて、好きな職業には就けないは、税金はたくさん取られるは、自由に旅行も行けないは、王様にはむかったら殺されるは、とにかく人々は自由に生きることができませんでした。そこで人々はこう考えます。「王様は何でもかんでも俺たちに命令するなよ。俺たちの自由にさせてくれよ!」というわけで主張されたのが自由権です。自由権とは職業選択の自由、宗教の自由、表現の自由など、国から命令されることなく自由に生きる権利のことをいいます。「国家からの自由」と表現されることもあります。

 市民革命の結果、人々はこの自由権を手に入れることができました。よかったね。しかし、今度は自由すぎるための問題が、産業革命の頃から出てきてしまいます。それは、産業革命により、自由に工場や会社を作って大金持ちになれた人は、自由権のおかげで幸せになれたのですが、商売も成功せず、お金を稼ぐことができなかった人はとことん貧乏になるという、貧富の差の問題です。「自由には責任を伴う」といいますが、自由には、金持ちになる自由もあれば、貧乏になる自由もあるということでしょうか。自由も決して万能ではないということです。そんな中、みなさんはどう思いますか? 貧乏になった人はもう飢え死にするしかないのでしょうか? 助けてあげなければいけないですよね? つまり、そのようなかわいそうな人たちは国(政府)が助けてあげなければなりません。みなさんが失業者・病人・障害者など弱い立場になったとき、国に助けてもらう権利のことを社会権といいます。この社会権を世界で初めて認めたのが1919年のに制定されたドイツのワイマール憲法です。社会権は「国家による自由」と表現されることもあります。

 そしてついでに、選挙に参加して自分の意見を政治に反映させたりする参政権のことを「国家への自由」と表現します。 

 さて、最後に自由権と社会権における国家の関係について説明します。自由権を徹底的に保障しようと思ったら、国は基本的にあまり政策を行うべきではなく、国民の自由に任せるようにします。このような国家のことを消極的に仕事するという意味から消極国家、小さな政府、安価な政府といいます。しかし、政策をあまり行わない政府をドイツの政治学者ラッサールは、「仕事があまりないのに存在する国家なんて、仕事がないけど見張りのために仕方なく交番に残る夜の警察と同じだ。」ということで夜警国家と皮肉しました。

 そして、1919年のワイマール憲法や1933年のアメリカのニューディール政策あたりからは、困っている人を助け、政府が社会権を保障するため、積極的に仕事を行うようになりました。このような国家のことを積極国家、大きな政府、高価な政府、福祉国家といいます。ただ、積極国家の問題点は、国民を助けすぎると税金がかかりすぎてしまうのと、例えば失業者にお金をあげて助けた場合、「なんだ、仕事がなくても政府がお金をくれるんなら、働かなくていいや。」なんて甘える人たちが出てくることです。そうなると消極国家と積極国家どちらがいいか? 真ん中がいい!というのが妥当だと思います。

2016年3月22日