1.国際社会の成立
古代のアレキサンダー帝国やローマ帝国、日本では豊臣秀吉のように、よその国を攻め滅ぼし、世界征服を成し遂げるというのは多くの野心家にとっての夢でした。彼らにとって外国というのは「仲良くする国」ではなく「(いつか)支配してやる国」でした。しかし、ヨーロッパでは1648年のウェストファリア会議から、外国に対する考え方が変わっていきます。ウェストファリア会議は、ヨーロッパ中の国を巻き込んだ30年戦争を終わらせるために開かれた会議だったのですが、この会議の結果、各国はそれぞれの国を主権国家としてその存在を認め、お互いに協力し合い、問題が起きたら、戦争ではなく話し合いで解決することを約束してウェストファリア条約を結びました。これにより、それぞれの国は外国と「仲良くする国」になることを考えるようになり、ヨーロッパでは、このウェストファリア会議から国際社会が成立したといわれています。
●国際法
国際社会が成立すると、世界中の国が守らなければならないルールが必要となってきます。そんな国際法の必要性を主張したのが、オランダの政治学者のグロチウスでした。グロチウスは『戦争と平和の法』の中で、世界平和の実現のためには自然法としての国際法の整備が必要であることを説いたため、「国際法の父」「自然法の父」といわれました。
そんな国際法には2つの種類があります。
条約 (成文国際法) |
文章にして、2ヶ国以上の国で守るために作られる法律。 例:○○条約、○○憲章、○○協定 |
国際慣習法 (慣習国際法) |
文章にもなってないのに、各国が勝手に守ってきたことによりいつのまにかルールとして定着してしまったルール 例:公海自由の原則・・・どこの国の領域でもない海は自由に通ってもよい。 外交特権・・・外国に駐在する外交官には、その国の法律は適用されない。 |
国際社会である現代では、世界中でたくさんの条約が作られています。しかし条約以外にも、文章にもなってないのに自然に各国が守ることにより、世界に定着してしまった国際慣習法という国際法もあります。ただ、そうは言っても文章にしないよりはしたほうがわかりやすいので、上の例に示した公海自由の原則は国連海洋法条約、外交特権はウィーン条約などに、今では成文化されています。
国連海洋法条約という言葉が出てきたので、国連海洋法条約などで規定されている領域の国際ルールについて説明しましょう。
・主権国家の領域は領土、領海、領空(領土・領海上空のうち大気圏内)からなる。
・領海は海岸線から12海里(約22㎞)以内であるが、その海域では漁獲資源や地下資源の採取が認められている200海里(約370㎞)の排他的経済水域も認められている。
・排他的経済水域の外側で、どこの国にも属さない海のことを公海という。
・国連海洋法条約の規定に違反した国は、国連海洋法裁判所で裁かれる。
2.戦争を防ぐための方法
どうしたら戦争をなくすことができるのかというのは、人類の大きな課題です。実際に世界史では、勢力均衡と集団安全保障という方法によって、戦争を防ごうという試みがありました。では、この2つの言葉について説明します。
●勢力均衡
19世紀の終わりのヨーロッパでは、イギリスとドイツが大きな力を持ち、両者は対立しているにもかかわらず、両者が戦うことは長らくありませんでした。それは勢力均衡の効果であったといわれています。両者にとって、お互いはじゃまな国ではあるのですが、戦争をしてしまったら自分の国も無傷ではすまないので、戦争になるのは避けたい、そう考えた両国は、周辺国と同盟を結ぶことにより、相手をビビらせて、戦争を回避してきました。特にドイツはオーストリア、イタリアと三国同盟、イギリスはフランス、ロシアと三国協商を結び、「もしうちに攻め込んできたら、私の仲間の国とも戦わないといけませんよ」とアピールすることにしました。また両国は軍備も増強し「もしうちに攻め込んで来たら、あなたの国もひどい目にあいますよ」とアピールすることによって、相手が攻め込みにくい状況をつくることにします。つまり、両国は軍事力を増強したり同盟国を増やすことによって相手をビビらせ、お互いが攻め込みにくい状況を作り出すことによって戦争を防いだのです。これが勢力均衡です。
しかし、みなさんどうでしょう? このような状況が真の平和といえるでしょうか? また、もし一度均衡が崩れ、戦争が始まったら、どういう状況になるでしょうか。実際、1914年にロシアの同盟国であったセルビアの青年がオーストリアの皇太子を殺したたった一発の銃弾をきっかけとして、この勢力均衡は崩れ、世界はイギリス、ドイツを中心とした同盟国を巻き込んだ第一次世界大戦という悲惨な戦争を引き起こしてしまいました。そう考えると、勢力均衡は戦争を防ぐためにはあまりいい方法ではなかったわけです。
●集団安全保障
第1次世界大戦が終了すると、世界は新しい方法で戦争を防ごうとします。そこで考え出された方法が集団安全保障という方法でした。世界の国々が集まって組織を作ります。しかし、この組織に加盟する条件として「戦争を起こさない」ということを約束しないといけません。そして、この約束のもと、巨大な国際平和機関を作るのですが、もし、約束を破って、戦争を起こす国が出てきたとすると、全ての加盟国で戦争を起こした国に制裁を加えます。しかし、そんなルールがあり、世界中の国を敵に回すことがわかっていれば、普通はどこの国も怖くて戦争なんか起こしません。それにより戦争を防ぐことができるというルールが集団安全保障です。そして、この集団安全保障の考え方によりつくられた国際平和機関が国際連盟と国際連合でした。
3.国際連合の成立
●国際連盟
世界平和を維持するための国際平和機関を設立しようという考えは、フランスの思想家サン・ピエールが1713年に出版した『永久平和案』やドイツの哲学者カントが1795年に出版した『永久平和のために』の中に見ることができます。しかし、当時彼らの考えはあまりにも画期的過ぎて、そんなことは不可能であろうと誰もが思い、あまり相手にしてもらえませんでした。しかし、第一次世界大戦という実際の悲劇を目の当たりにして、世界各国が本気で世界平和を願うようになった1918年、アメリカのウィルソン大統領が国際平和実現のために必要なことをまとめた「平和原則14ヵ条」の中で、カントが提唱した集団安全保障に基づく国際平和機関の設立を提案しました。そして、このウィルソンの提案を受けて、1920年に設立されたのが、国際連盟でした。
1713 | 哲学者サン・ピエール (仏)が、 『永久平和草案』を出版 |
本の中で、国際平和機構、国際裁判所、国際軍の設置を主張し、その後のルソーやカントなどの思想家に影響を与える。 |
1795 | 哲学者カント (独)が、 『永久平和のために』を出版 |
本の中で、永久平和のためには、集団安全保障体制に基づく国際連盟平和機構を作る必要があると主張。 |
1914 | 第一次世界大戦始まる | 4年間に及ぶ大戦争で、世界中が混乱し、平和を望む声も大きくなる。 |
1918 | ウィルソン大統領(米)が、 「平和原則14ヶ条」を発表 |
第一次世界大戦のような悲劇を二度と起こさないようにするため、国際連盟を設立することを提案! |
1920 | 国際連盟成立 | ・42カ国の参加(日本も常任理事国として参加)によりスタート。 ・本部はスイスのジュネーブに置かれる。 ・アメリカ、ソ連、ドイツなどは不参加。 |
1928 | 不戦条約 | 国際連盟の規定では、戦争の禁止が不徹底だったため、その穴埋めのために結ばれた戦争禁止条約。 ⇒結局機能せず。 |
国際連盟の本部はスイスのジュネーブに置かれ、日本を含む42カ国の加盟によりスタートしました。しかし、この国際連盟、残念ながら組織上の欠点も多かったことから20年足らずで活動停止に追い込まれてしまいます。
国際連盟の主な欠点は次の3点です。
① 全会一致制の投票方法を採用していたため、決議が困難だった。 |
② 大国の不参加。 ・アメリカ・・・提案者であるウィルソン大統領は加盟したかったが、議会で反対されて不参加 ・ソ連・・・社会主義国であることを理由に加盟が認められなかった。後に加盟するが、再び除名。 ・ドイツ・・・第一次世界大戦の敗戦国であることを理由に加盟が認められなかった。後に加盟するが、ヒトラーが政権を握ってから再び脱退。 ・日本・・・満州事変をきっかけに非難を受け、いづらくなって脱退。 |
③ 戦争を起こす国が出てきても軍事制裁(軍隊の出動)が禁止されており、経済制裁(貿易の中止)や勧告しか行うことができなかった。 |
このような理由から国際連盟は力が弱く、戦争を防ぐために有効な対策を行うことができませんでした。その結果、第二次世界大戦を防ぐことができず、機能停止に追い込まれてしまいます。
●国際連合
というわけで、国際連盟は失敗に終わりました。しかし、第二次世界大戦中の1941年、大西洋の戦艦上でアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が大西洋憲章を作成し、この中で、やはり戦争を防ぐための国際平和機関は必要であるということで、国際連盟の反省を生かした新たな国際平和機関である国際連合の設立を提案しました。
1939 | 第二次世界大戦始まる | 国際連盟が機能停止に陥り、新たな国際機関の設立が望まれる。 |
---|---|---|
1941 | 大西洋憲章 | ルーズベルト(米)とチャーチル(英)が、大西洋の船上で話し合い、国際連合の設立を提案する。 |
1944 | ダンバートン・オークス会議 | 米英ソ中の代表が集まり、国際連合の組織と基本原則について定めた国連憲章の原案を作成する。 |
1945 | ヤルタ会談 | 米英仏ソ中5つの常任理事国に拒否権を与えることが決められる。 |
1945 | サンフランシスコ会議 | ・51カ国が国連憲章(国際連合憲章)に署名し、国際連合がスタート(現在193カ国)。 ・本部はアメリカのニューヨークに置かれる。 ・第二次世界大戦の敗戦国、日独伊はこの時は不参加。 |
1956 | 日本が国際連合に加盟 | 日ソ共同宣言を結び、それまで日本の国際連合加盟を反対していたソ連も賛成してくれるようになったため、晴れて加盟! |
その結果、1944年にアメリカの首都ワシントンの郊外の町、ダンバートン・オークスで、アメリカ、イギリス、ソ連、中国(中華民国)の代表が集まり、国際連合を設立するための条約である国連憲章の原案の作成に取り掛かりました。この会議をダンバートン・オークス会議といいます。そして1945年のヤルタ会談で、米ソ英仏中の5大国に拒否権を与えることが付け加えられ、その後のサンフランシスコ会議で51ヵ国がこの国連憲章(国際連合憲章)に署名することにより、国際連合が正式にスタートします。本部はアメリカのニューヨークに置かれ、加盟国はその後増え続け、2011年に南スーダンが加盟することにより、加盟国は193か国にまで拡大しました。
4.国際連合の組織
国際連合の中には、実にたくさんの機関がありますが、その中心となるのが6つの主要機関です。
主要機関 | 役割 | 特徴 |
---|---|---|
総会 | 全加盟国が参加して開く、国連の中心機関 | ★毎年6月から約3ヶ月間必ず開かれるのが通常総会。安全保障理事会または加盟国の過半数の請求によって開かれるのが特別総会。 ★1国1票の投票権を持ち多数決で決める(重要事項は3分の2以上)。 ★ここでの決定は基本的には勧告であり、強制措置(軍事制裁)ではない。 |
安全保障理事会 | 戦争を防止し、平和を維持するための機関 | ★5つの常任理事国(米英仏ロ中)と10の非常任理事国(2018年:赤道ギニア、コートジボワール、クウェート、ペルー、ポーランド、オランダ、エチオピア、カザフスタン、ボリビア、スウェーデン)からなる。 ★非常任理事国は任期2年ごとに半数ずつ、総会での投票で選ばれる。 ★手続事項は9カ国以上の賛成により議決されるが、実質事項では常任理事国が拒否権をもつ。 ★戦争を起こした国に(常設)国連軍を派遣して、軍事制裁を加える! |
事務局 | 国連の事務的な仕事を受け持つ | ★ここのリーダーを務めるのが事務総長(2018年現在ポルトガルのグテーレス事務総長)。 ★事務総長は、安全保障理事会の勧告に基づいて総会が任命する。 |
経済社会理事会 | 経済、文化、援助などの活動を受け持つ | ★17の専門機関がここに所属するが、経済社会理事会には専門機関の指揮・監督権はない。 ★いくつかのNGOがオブザーバーとして、会議に参加することが認められている。 |
国際司法裁判所 | 国家間の問題の裁判を行う | ★訴えることのできるのは国家のみで、個人は訴えることはできない。 ★対立する両方の国が同意しないと裁判を始めることができない。 ★判決は法的拘束力をもつが、強制する手段がないので実効性に欠ける。 ★オランダのハーグにある。 ⇒戦争犯罪などを侵した個人を裁くため、2003年に国際刑事裁判所(国連の機関ではない)が設置。 |
信託統治理事会 | 不安定な地域を管理して、国として独立できるように援助する | ★1994年にパラオが独立してからは仕事がない。 |
●総会
この中で特に重要なのが、総会と安全保障理事会です。国際連合に関してはこの2つの組織の違いがよくわかっていない人が多いように感じます。
まず、国連の中心機関となるのが総会です。総会には全ての加盟国である193カ国の代表が出席して、一国一票の投票権を持って投票します。総会で話し合われる議題は実に広範囲な分野に及びます。
一つの国に一票ずつ投票権を与えるというのは、一見、公平のような気もするのですが、人口が13億人もいる中国とたった9700人しかいないツバルが同じ一票でいいのかと考えると、なんか変な気もします。
●安全保障理事会
それに対し、安全保障理事会は5つの常任理事国(アメリカ、ロシア、フランス、イギリス、中国)と10の非常任理事国というたった15カ国の代表のみが出席します。五大国といわれる常任理事国は拒否権を持ちます。そして、安全保障理事会の主な議題はずばり「戦争の予防」。かなり物騒なことを話し合っているわけです。
多くの人たちが、国連において五大国が拒否権を持っていることを知っているのですが、拒否権があるのは、総会での議決ではなく、安全保障理事会における議決であることです。あと、押さえておきたいのは、安全保障理事会で話し合われることは主に「戦争の予防」に関することですが、考えようによってはこの議題が世界で一番重要な議題ともいえます。そう考えるとたった15カ国にそんな重要課題の決定権を与えていいのか、あるいは五大国だけに拒否権を与えるのはどうなのかという批判があります。
●事務局
事務局のリーダーが事務総長です。事務総長といえば「国連の顔」であるため、さぞかし大きな権力を握っているようにも思えますが、実際は事務職のリーダーに過ぎないという地味な役職です。世界に向けて発言する機会は多いけど、権力は与えてもらっていないというのが事務総長の実態です。
そんな事務総長は安全保障理事会の勧告に従って総会の投票で決定するというルールがあります。さらに、事務総長は大国の中からは選ばれないという慣例があります。よって現在の事務総長はポルトガルのグテーレスですし、その前は韓国のパン・ギムン、さらにその前はガーナのアナンでした。これは特に安全保障理事会の常任理事国(五大国)の中から選ばないようにすることによって、安全保障理事会とのバランスをとろうとする目的もあります。
●経済社会理事会
「戦争の予防」という物騒な問題に取り組む安全保障理事会と違って、経済・文化・援助などの国際協力といった平和的な問題に取り組む理事会が経済社会理事会です。経済社会理事会の活動は広範囲に及ぶため、UNESCOやWHOなどの専門機関と連携して活動しています。しかし、経済社会理事会にこれらの専門機関を指揮・監督する権限はなく、専門機関は経済社会理事会から独立して自由に活動することができています。
さらに、NGO(非政府組織)の中には経済社会理事会にオブザーバーとして出席が認められているものもあります。そう考えると、拒否権の行使によって活動が停滞してしまった安全保障理事会と違って、多くの機関と積極的に連携することにより、行動が素早いのが経済社会理事会であるといえるかもしれません。
●国際司法裁判所
国家間の問題を裁判で解決するために設置されたのが国際司法裁判所(ICJ)です。国際司法裁判所はあくまで国家間(政府VS政府)の問題を解決するための裁判所であるので、我々個人は国際司法裁判所に訴えることはできないし、個人が犯した犯罪を裁判することもできません。あるいはこの裁判所で裁判を始めるには対立する両方の国の同意がないとダメなので、負けるのが確実だと裁判をせずに逃げ出すことも可能です。ですので、日本が抱える竹島問題も韓国が同意してくれないので、裁判することさえできない状態です。
さらにここでの判決は法的拘束力を持つことにはなっているのですが、判決の内容を強制的に従わせる手段がないため、実行力に欠けるという欠点もあります。
ちなみに日本は、日本が行う調査捕鯨の禁止を求めてオーストラリアに訴えられたことがあります。
個人を裁く国際裁判所として2003年に国際刑事裁判所(ICC)が設立されました。この裁判所は国際的な戦争犯罪者、大量虐殺を行った独裁者などの個人を裁く裁判所です。日本人にもわかる表現をするならば、ユダヤ人の大量虐殺を行ったヒトラーみたいな人を裁く裁判所と思えばいいでしょうか。
国際司法裁判所が国連の機関であるのに対し、国際刑事裁判所は国連の機関ではありません。そして、もう1つ国連の機関ではない国際裁判所として常設仲裁裁判所というのがあります。この裁判所は、1899年のハーグ平和会議によって設置された国際裁判所で、国際司法裁判所と違って対立する片方の国のみの訴えで裁判を開始することができます。ただし、判決にも法的拘束力がないため実行力が国際司法裁判所よりも弱いという欠点もあります。
2016年には、常設司法裁判所が、南沙諸島の島々を中国が実効支配している件に関して、フィリピンの訴えを認め、中国による支配は国際法に違反するという判決を出しましたが、判決に法的拘束力がないため、中国はこの判決に従わず、中国による実効支配が続いています。
●信託統治理事会
信託統治理事会は第二次世界大戦後に植民地として不安定だった地域を援助して国として独立するのを助けるために設置されました。しかし、1994年のパラオを最後に、援助していた全ての国が独立を達成したので、現在、仕事がなくなってしまいました。もう、なくしてもいいのですが、とはいっても6つの主要機関として国連憲章にも規定されている機関であるということと、もしものために・・・などの意見があり、一応生き残っています。
5.安全保障理事会の問題点
国際連合の中心機関は全ての加盟国が出席する総会ですが、最も大きな権限を与えられているのが安全保障理事会です。なぜならば、安全保障理事会は「戦争の予防」という国連というか世界で最も重要な課題に立ち向かう機関だからです。なので、総会が勧告(=「~したほうがいいよ」と提案する)しかできないのに対し、安全保障理事会では戦争を起こした悪い国に対して(常設)国連軍を派遣し軍事制裁を加えるという強制措置(=強制的に従わせる!)を行うことが認められています。
このように安全保障理事会に強い権限を与えたのは、前身機関である国際連盟が勧告や経済制裁しか行うことができず、第二次世界大戦を防ぐことができなかったという反省からきたものでした。ですので、安全保障理事会には、強力な権限を使って世界平和のためにじゃんじゃん働いてもらう・・・ことが期待されたのですが、残念ながら安全保障理事会は、そんなに役に立つことはできませんでした。
一番の原因は、安全保障理事会の常任理事国(五大国)に拒否権を与えたことでした。
国際連合がスタートしたのとほぼ同時にアメリカとソ連が対立する東西冷戦もスタートし、アメリカの提案についてはソ連が、ソ連の提案についてはアメリカが拒否権を行使しまくったために、安全保障理事会は機能停止に陥り、軍事制裁を加えるために組織することができるはずの常設国連軍は、結局今まで一度も組織されたことがありません。
その代わり、 国際連合は戦争を悪化させないための臨時措置を行うことにより、最悪の事態を避けてきました。
1948 | 第一次中東戦争 | 国連軍の代わりに、治安維持のみを行うPKO(国連平和維持活動)を派遣し、その後、PKOが安全保障理事会が行う臨時措置として定着する。 ※PKOは国連憲章に規定がなく、国連憲章6章の平和的解決と7章の強制的措置の中間に当たる6章半活動であると言われている。 |
---|---|---|
1950 | 朝鮮戦争 | ソ連の欠席中に、アメリカを中心とした(常設ではない)朝鮮国連軍を派遣。 ⇒ソ連の承認がないまま、アメリカが国連軍を派遣したことが問題となり、これ以後、安全保障理事会が機能しないために世界平和が脅かされる危険がある場合は、総会で平和のための結集決議を行うことにより、総会が臨時措置として、軍の出動を含めた必要措置を加盟国に勧告できるようになった。 |
1991 | 湾岸戦争 | 安全保障理事会で「イラク制裁容認決議」が採択されることにより、アメリカ軍を中心とした多国籍軍を派遣。 |
2003 | イラク戦争 | 安全保障理事会の決議を得ないまま、アメリカ軍を中心とする軍隊がイラクを攻撃し、非難を浴びる。 ⇒アメリカの国連を無視したユニラテラリズム(=単独行動主義)が非難される。 |
●PKO(国連平和維持活動)
まず、1948年の第一次中東戦争の時から、PKO(国連平和維持活動)と呼ばれる部隊を、紛争地域に派遣するようになります。PKOについては3時間目:平和主義でもやったのを覚えていますか? これは、戦争が起きている地域に戦いに行く(=人を殺しに行く)のが目的の国連軍とは違って、治安が悪化している地域に派遣して住民の安全を守る(=平和をキープ)ことを目的とした部隊です。安全保障理事会は国連軍を派遣できない代わりに、せめてPKOを派遣して、最悪の事態を防ごうとしました。そして、戦争を目的としないこの国連の活動に1992年から日本の自衛隊も参加するようになります。
このPKOのことを6章半活動と表現することがあります。これはPKOという活動は国連憲章に定められていないのですが、国連憲章の第6章には話し合いで紛争を解決する「平和的解決」についての記述があり、第7章には国連軍を使って武力で紛争を解決する「強制措置」についての記述があります。そのことから、部隊は派遣するけど武力は使わず治安の維持にあたるのみであることから、PKOは6章の「平和的解決」と7章の「強制措置」の中間的な活動であることからそう呼ばれています。
PKOに所属する軍隊で、対立する部隊の引き離しを行うのがPKF(国連平和維持軍)です。これは1956年のスエズ動乱の時から、PKOの中に配属され始めたのですが、あくまで戦闘状態にある2つの勢力を分離させるのが目的であって、どちらかの勢力に味方し、戦争を起こそうという部隊でないことから国連軍とは違います。
PKOの派遣は東西冷戦後の1990年代から急増し、日本の自衛隊もPKO一員として重要な役割を果たしています。
●朝鮮戦争
朝鮮戦争において北朝鮮が韓国の奇襲攻撃に成功し、韓国が壊滅的な打撃を受けたとき、アメリカの提案により国連の安全保障理事会で、韓国を支援し、北朝鮮に制裁を加えるための国連軍を派遣することが可決されました。
この時は安全保障理事会の常任理事国(五大国)のうち、西側諸国のアメリカ、イギリス、フランスが賛成し、当時は中華人民共和国(社会主義国)ではなく、中華民国(資本主義国、台湾)が常任理事国だったため中(華民)国も賛成しました。そして、残るソ連はなんとこの時、1949年に中華人民共和国(社会主義)が誕生したのに、国連に加盟しているのが中華民国(資本主義国、台湾)であることに不満を持ち、安全保障理事会を欠席していたためソ連の反対がなく、国連軍の派遣が決定し、韓国を助けるためにアメリカ軍を中心とする朝鮮国連軍が派遣されました。
ついさっき、(常設)国連軍が今までに組織されたことは一度もないと言ったばかりなのに、国連軍が派遣されとるじゃん! と思ったかもしれません。実は、この時の朝鮮国連軍は名前が国連軍と呼ばれているだけで、内容的には国連憲章に規定されている(常設)国連軍とは違います。これについてはもう少し後でまとめて説明します。
ソ連からすると、自分たちが欠席している間に勝手なことをされたのは面白くありません。しかし、この時、朝鮮国連軍が派遣されていないと、韓国は北朝鮮によって滅ぼされている状況でした。よって、この時の安全保障理事会の判断は正しかったということができるでしょう。よってこの時の経験を踏まえ、今後、拒否権行使のために平和が脅かされそうになった場合に備え「平和のための結集決議」という新ルールができました。
「平和のための結集決議」とは、もし安全保障理事会が機能しないために平和が脅かされそうな場合は、安全保障理事会に代わり、総会で緊急特別総会を開き、参加国の3分の2以上の賛成により「平和のための結集決議」が可決されれば、総会が臨時の措置を行えることにしようというルールです。言い換えると、あまりにも「戦争の予防」のために組織された安全保障理事会が役に立たないので、総会にも「戦争の予防」のための臨時の措置を行えるようにしようというものでした。この結果、1956年のスエズ動乱を初めとして、今までに16回ほど「平和のための結集」決議が可決され、総会の勧告を受けて有志の国々が軍隊を派遣して、事態を悪化させないように努力したことがあります。
●湾岸戦争
1990年、イラクのフセイン大統領が隣の国のクウェートに攻め込み、クウェートをイラクに併合しようとしました。これに対し、国連では、アメリカの提案によりイラクのクウェートからの無条件撤退を求めた決議を採択し、撤退しない場合、イラク軍をクウェートから排除するために国連が「必要なあらゆる手段」をとることを決議しました。いつもだと、アメリカ主導のこの提案にはソ連が拒否権を使うパターンだったのですが、実はこの時すでに東西冷戦は終結しており、アメリカとソ連が歩み寄っている時期であったため、ソ連はこの決議に賛成し(中国が棄権)、アメリカを中心とする多国籍軍が編成され1991年に湾岸戦争が起こりました。
ポイントはこの時編成されたのは多国籍軍であり(常設)国連軍ではないということです。では、多国籍軍と常設国連軍の違いを説明しましょう。多国籍軍は、呼びかけに応じた有志の国々が軍隊と活動資金を出し、その中からリーダーとなる国々が指揮を執ります。それに対し常設国連軍は国連がお金を出して軍隊を集め、国連が指揮を執ります。簡単な言葉で説明すると常設国連軍=地球防衛軍のようなものだと思ってください。多国籍軍が色々な国々の軍隊の寄せ集めにすぎないのに対し、常設国連軍の軍隊は国連に雇われて世界平和のために戦う軍隊です。国連憲章ができたときは理想として常設国連軍に世界を守らせようとしたのですが、国連が思ったほど力をもたず、各国の足並みがそろわない中では、常設国連軍を作ることは現実的ではなく、湾岸戦争以降、紛争が起こるたびに多国籍軍で対応するようになりました。そのような分類方法で行くと、朝鮮戦争の時に編成された朝鮮国連軍も、国連軍というよりもアメリカ軍を中心とした多国籍軍に分類されることになります。
そもそも国連は毎年財源不足に苦しんでおり、とても常設国連軍を作る余裕なんてなくなってしまいました。ですので、今後も常設国連軍が作られることはないものと思われます。
5.その他の国連機関
国際連合にかかわる機関として、6つの主要機関以外に、補助機関、専門機関、関連機関があります。補助機関は国連総会の決議によって設立された国連内部の機関で、国連総会に活動内容の報告義務があります。専門機関は経済社会理事会と連携協定を結ぶことにより、国連と連携関係にある国際機関のことです。そして、関連機関とは連携協定を結んでないけれど国連に報告を行うなど協力関係にある国際機関です。この3つの違いはとても分かりにくいのですが、関連機関⇒専門機関⇒補助機関になるほど国連との関係が深くなると思ってください。
●補助機関
UNDP 国連開発計画 |
発展途上国の経済・社会発展のためのプロジェクトを企画する。 |
UNICEF 国連児童基金 |
世界中から募金・寄付金を集め,貧しい子供たちを援助する機関。 1965年ノーベル平和賞受賞 |
UNHCR 国連難民高等弁務官事務所 |
難民の保護,救済を行う機関。難民条約で難民に認定されない国内難民の保護も行う。 1954年、1981年ノーベル平和賞受賞 ここのトップである高等弁務官を日本人の緒方貞子が務めたことも。 |
UNHRC 国連人権理事会 |
国連加盟国の人権状況を定期的に調査し、国際的な人権侵害に対応する。 2006年に人権委員会を格上げする形で誕生。 |
UNEP 国連環境計画 |
環境問題に取り組む機関。 23時間目:地球規模の問題参照 |
UNCTAD 国連貿易開発会議 |
発展途上国からの意見を聞き、発展途上国に対する援助を行う。 25時間目:国際経済の課題参照 |
●専門機関
UNESCO 国連教育科学文化機関 |
教育,科学,文化の普及・国際協力を担当する機関。 |
ILO 国際労働機関 |
労働問題・社会保障問題に取り組む機関。 1969年ノーベル平和賞受賞 |
IMF 国際通貨基金 |
世界の為替相場を管理し,貿易赤字や財政破綻に苦しむ国にお金を貸す機関。 24時間目:国際貿易体制参照 |
IBRD 国際復興開発銀行 |
戦争に荒廃した国や貧しい発展途上国に対して,お金を貸す機関。 24時間目:国際貿易体制参照 |
WHO 世界保健機関 |
医療問題,福祉問題に取り組む機関。 |
IDA 国際開発協会 |
戦争に荒廃した国や貧しい発展途上国に対して,お金を貸す機関。IBRDよりも融資の条件が緩い。 |
FAO 国連食糧農業機関 |
食糧・農業問題に取り組む機関。 |
●関連機関
IAEA 国際原子力機関 |
核拡散防止条約に基づき,原子力技術を保有する国に対して核査察を行う機関。 2005年、ノーベル平和賞受賞 11時間目:東西冷戦参照 |
WTO 世界貿易機関 |
各国が公正な貿易を行うためのルールを定め,監視するための機関。 24時間目:国際貿易体制参照 |
6.国際連合の課題
●財政危機
国連の年間予算は約6000億円です。これは私が住んでいる広島市の予算とほぼ一緒であり、そう考えると国連は広島市と同じ規模の予算で世界を守っているという計算になります。厳密には、国連が平和維持活動(PKO)を行う時には参加国がお金を出してくれる(年間約9000億円)ので、このお金だけで世界を守っているわけではないのですが、国連は慢性的な資金不足に苦しみ、少ない資金で何とか運営できている状態です。
●分担金の滞納
国連の運営資金は各国の経済力により割り当てられた(金持ちの国からは多く、貧しい国からは少し)各国からの分担金によりまかなわれているのですが、ただでさえ国連はお金がないにもかかわらず、この分担金をきちんと払ってくれない国が結構あります。特にアメリカです。アメリカは国連が自分の思うように動かないとすぐに分担金を滞納するところがあり、本来一番分担金を払うことになっているアメリカが堂々と分担金を滞納することが悪い見本になり、他国も安心して滞納しているところがあります。それに対し、日本は国連分担金をきちんと払っている優等生です。しかし、お金をきちんと払っている割に、国連で働く日本人の数はそんなに多くなく、国連において日本は金の割に影響力を持っていない状態です。その理由の一つに日本人の中には英語が話せて国際的に活躍できる人材が少ないというのもあるのですが、次の理由も大きな要因になっていると考えられます。
●敵国条項
国際連合は第二次世界大戦の戦勝国(アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国など)を中心に作られました。その結果、第二次世界大戦の敗戦国である日本、ドイツ、イタリアなどに対して、国連憲章において敵国条項と呼ばれる条文が作られました。これは「日本、ドイツ、イタリアたちは第二次世界大戦を引き起こした悪い国だから、こいつらが戦争を起こしたら、国連の許可がなくてもやっつけちゃっていいよ」といった内容です。つまり日本は国連にとっては敵ですから、国連では立場が冷遇されがちになっているのではという指摘があります。ただ、イタリアあたりはけっこう職員を派遣しているので、敵国というよりも英語の話せないアジアだからという理由の方が強いような気がします。
●国連安保理改革
そんな中、日本の国連安全保障理事会における常任理事国入りが議論されたことがありました。これは、現在安全保障理事会における常任理事国はアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5か国ですが、これに日本、ドイツ、ブラジル、インドを加えて9か国にしようというものです。国連安全保障理事会に出席できると世界の最先端の情報を知ることができます。日本も非常任理事国として安全保障理事会に出席してきたのですが、非常任理事国になるためには総会での選挙に当選しないといけないし、再選ができないので何度も空白の時期ができるという欠点があります。よって、常任理事国となって世界の最新情報をゲットし続けるというのは日本政府の念願だったのですが、この案は中国などの反対にあい廃案となりました。
子供の頃、国連というのは世界をまとめ上げるスーパー組織みたいなイメージがありましたが、実際に世界中の国々が同じ方向を向いて仲良くするというのは難しいようです。ただ、国際連合ができて以後、第3次世界大戦が起きていないところを見ると、頼りない面はあるかもしれないけれど、国際連合が平和のために貢献できている点は認めてあげてもいいのではないかと思います。東西冷戦終結後、自国ファーストを掲げる国々が増える中、国連の力はますます弱くなってきているような気もしますが、第3次世界大戦を起こさないためにも、もう一度世界中の人たちが国際連合の重要性を認識する必要もあるかもしれません。
2019年2月18日