4時間目:基本的人権

1.基本的人権の種類
 平和主義が終わったので、今日は日本国憲法の3つの基本原理の2つ目、基本的人権の尊重について勉強します。日本国憲法には実にたくさんの権利が規定されており、第10~40条までの合計31条が基本的人権に関する記述です。こんなにたくさん覚えられるか! と文句を言われそうですが、覚えるというよりも「こんな権利があるんだ」という感覚で、少しずつ丁寧に理解していきましょう。

 まず大事なのは、日本国憲法における基本的人権は大きく分類して5つ、平等権、自由権、社会権、請求権、参政権に分類できるということです。

 ・ 平等権・・・差別されない権利
 ・ 自由権・・・自由に生きる権利(国家からの自由
 ・ 社会権・・・人間らしい最低限の生活を国に保障してもらう権利(国家による自由
 ・ 請求権・・・基本的人権が守られるように国にお願いする権利
 ・ 参政権・・・政治に参加する権利(国家への自由

 この5つを押えたうえで、基本的人権を一覧表にまとめてみましょう。

 それではこの表を参考にしつつ、5つの人権別にそのポイントとその権利をめぐる裁判を解説していきます。

2.平等権法の下の平等(14条)、両性の平等(24条)
 平等権とは差別されない権利のことです。平等権は憲法14条、男女平等については24条に規定されています。

  ~第14条~
① すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない。

 わかりにくい単語を補足すると、信条とは考え方のこと、門地は生まれた家柄のことです。

 この条文により、日本ではあらゆる差別を禁止しています。ニュースで目にする外国の民族紛争や人種差別などのことを考えると、日本は差別のない平和な国のように錯覚する人もいるかもしれませんが、とんでもない! 日本も差別が根強く残る国です。

●男女差別
 高校生ぐらいまでは「女性は差別されている」と感じている人はそこまで多くないとききますが、就職や結婚、出産・子育てに関わる世代になってくると、日本ではいまだにあからさまな男女差別が多くあります。このことについては21時間目:労働問題で詳しく解説します。

1984 国籍法 改正 日本人と外国人の両親を持つ子どもが日本国籍を取得するための要件が、父系優先主義(=父親が日本人であるのみ日本国籍を取得できる)から父母両系血統主義(=父母どちらかが日本人であれば日本国籍を取得できる)に変更。
1985 男女雇用機会均等法 職場・採用などにおける男女差別の禁止。セクハラの禁止。
1999 男女共同参画社会基本法 社会的・文化的に形成されてきた男らしさ、女らしさ(=ジェンダー)を撤廃し、男女の仕事、家庭、政治への平等な参加を目指す。
2001 DV防止法 親しい異性(主に夫、恋人)からの暴力(=ドメスティック・バイオレンス)の防止。
2015 女性活躍推進法 女性が仕事で活躍できるようにするための、国や地方公共団体、事業主の責務を定める。

 

●民族・外国人差別
 次は、民族・外国人差別です。

1995 アイヌ文化振興法 北海道旧土人保護法を廃止し、差別されてきたアイヌ民族とその文化の保護を目的とする。 
2007 入国管理法改正 テロ対策として、観光客を含む外国人(永住外国人を除く)の入国の際に、指紋の押捺を義務付ける。
2016 ヘイトスピーチ規制法 外国人に対する不当な差別言動を解消することを目的として制定。 
※違反したとしても、具体的な罰則がなく、実効性に乏しいとの指摘もある。
2019 アイヌ民族支援法 アイヌ文化振興法を廃止し、それまで認められていなかったアイヌ民族の先住権を認める。

 北海道には古くから多くのアイヌ民族が生活していて、代々、就職や結婚などのときにひどい差別を受けてきました。日本はアイヌ民族の保護のために明治時代に北海道旧土人保護法という法律を作りましたが、この法律はアイヌ民族を保護するといいながら、アイヌ民族を日本人化しようとする側面もあったため、「日本人=優れている、アイヌ民族=劣っている」というニュアンスが含まれており、以前から問題視されていました。そんな中、日本が1995年に国連の人種差別撤廃条約を批准することにより、北海道旧土人保護法は廃止され、1997年にアイヌ文化振興法が制定されました。この法律により、もう一度、自然と共生してきたアイヌ民族の素晴らしさを見直し、その伝統を保護しようという流れに変わってきました。そしてアイヌ文化振興法をパワーアップさせる形で2019年にはアイヌ民族支援法が制定され、それまで認められなかったアイヌ民族の先住権が認められます。

 さらに、日本における外国人をめぐる状況について見ていきましょう。

難民の受け入れ⇒日本では難民認定の基準が厳しく、難民の受け入れには消極的
外国人の参政権国政選挙では選挙権も被選挙権もなし最高裁判所が「永住外国人の地方参政権は憲法上禁止されるものではない」と判断したことがあるが、実際に条例を制定して、外国人に参政権を認めている地方自治体はない
③外国人の公務員採用⇒地方公務員は採用が増えてきているが、国家公務員の採用はほとんどない。
外国人の就職⇒技術系専門職(ホワイトカラー)への就職はできるが、肉体系単純労働(ブルーカラー)への就職は原則禁止

 基本的に、日本は外国人のブルーカラーへの就職を禁止してきました。理由は、ブルーカラーへの労働までOKにしてしまうと、大量の外国人が日本に働きに来て、日本人が失業してしまうからです。しかし、そうは言っても、ブルーカラーが完全に禁止されているわけではなく、いくつかの例外があります。

★外国人が肉体系単純労働(ブルーカラー)として働ける例外
 ①留学生のアルバイト(週28時間以内)
 ②技能実習生…日本の企業に仕事のやり方を学びに来た外国人。学びに来たと言いながら、実際には就業して給料ももらう。最長5年。
 ③特定技能…人手不足に苦しむ12の業種(介護、建設業、宿泊業、外食業など)に限り、特定技能の資格を取れば就業を認める。

 実際問題、少子高齢化により労働力人口が減ってきている日本では、外国人の方々に働いてもらわないと経済が回らない状態です。その結果、日本中の工場で、技能実習生と呼ばれる外国人が貴重な戦力として働いてくださっています。彼らは、建前では、日本に仕事のやり方を勉強に来て、期限が来ると母国に帰って、その技術を伝えることになっているのですが、実際にはそんな動機で日本に来ている技能実習生なんてほとんどおらず、賃金の高い日本で働いて、家族に仕送りをすることを目的で来ている人たちがほとんどです。

 そんな技能実習生の人たちの扱いが国際問題になっています。彼らは正式な労働者ではないこともあり、ブラックな労働条件の下、低賃金で働かされている人たちも多いようです。さらに、言葉や文化の壁に苦しんで、寂しい思いをしている人たちも多いと聞きます。

 企業の方からも、労働力不足に対応するため、矛盾だらけの技能実習生ではなく、きちんとしたルールで外国人を雇いたいというリクエストがありました。その結果、2019年にできたのが特定技能のルールです。これにより、国内で人手不足に苦しむ12業種に限り、勉強して特定技能の資格を取れば、外国人が日本で働けるようになりました。当初は、わざわざ勉強しないといけないという壁もあって人気がなく、コロナの影響で外国人労働者事態が減少したこともあり、なかなか特定技能の資格を取ってくれる外国人が増えない時期もありましたが、コロナが終わり、日本経済が復調するにしたがって、少しずつ特定技能で働く外国人労働者も増えてきているようです。

●その他の差別

1969 同和対策事業特別措置法 江戸時代から現代社会まで根強く続く部落差別により、不利益を被っている地域の生活環境の改善を図る法律。
1996 らい予防法廃止 1953年に制定後、政府はハンセン病患者の強制隔離政策を実施してきたが、科学的根拠がなく、ハンセン病患者の人権を侵害していたことから廃止された。

 私は、ニュージーランドに留学した時、韓国人に大変お世話になり、私と同じようにニュージーランドに英語の勉強をしに来た韓国人の友人がたくさんできました。彼らとは、仲良くなっていく中で、日本の漫画の話や、韓国ドラマの話などで盛り上がりました。さらに、お酒の入った席では、彼らと竹島問題について激論を交わすこともありました…。そんな彼らとのお別れの時、韓国人の一番の親友が私にこんなことを言ってくれました。「韓国のニュースに出てくる日本人は、過激な思想を持った人がよく登場するので、日本人というのは韓国人のことをわかってくれないクレイジーなやつらだと思っていた。しかし、トビにあったおかげで、日本人は、韓国人とも考えが近く、話をしていても分かり合えることがよくわかった。だから、うわさや限られた情報だけで人を判断するのではなく、直接会い、話し合うことがとても大事だということがよくわかった。」

 これに対し、私も彼に、自分も全く同じことを感じたと答えました。日本のテレビでも、韓国に関するニュースでは、極端であったり、過激なニュースがクローズアップされ、それらにより、私たちのイメージが作られてしまうことがよくあります。大切なのは、国内外に限らず、多くの種類の人たちに出会い、直接交流し、自分自身の頭で考えて行動することです。みなさんがそういう意識を持つことができるということは、差別をなくすことができるだけでなく、自分自身の中で、広い視野を持つことができるようになります。

●平等権をめぐる裁判
 では、平等権に関する有名な裁判を紹介します。まずは、最高裁判所が違憲判決を下したものから紹介します。

尊属殺重罰事件
(1973年)
【内容】父親に性的暴行を受け、5人の子どもまで産まされていた娘が父親を殺害したところ、刑法に、尊属(目上の親族)を殺害した場合のみ通常の殺人よりも刑が重くなる「尊属殺重罰」規定があり、憲法14条の平等権との関係が問題となった。
【判決】人命の重さを差別するのは平等権に違反するとして、刑法200条が違憲判決を受ける。
衆議院議員定数訴訟
(1976年、1985年)
【内容】1972年の衆議院議員総選挙で、都市部と地方で一票の格差が4.99倍(1983年は4.40倍)もあったのは、憲法14条の平等権に違反するとして、選挙の無効を訴える。
判決】今回の格差は違憲であり、今後も都市部と地方の一票の格差が3倍を越えると違憲とするという判決を出す。
⇒同じような判決が1976年と1985年の2回出ている。
国籍取得制限訴訟
(2008年)
【内容】フィリピン人の母親と、日本人の父親との間に生まれた子供たちが、両親が結婚していないことを理由に日本国籍を認められないことは憲法14条の平等権に違反するとして、国籍の取得を要求する。
【判決】両親が結婚していることを子供が日本国籍取得することのできる条件とする国籍法の規定が違憲判決を受け、子供たちに日本国籍を認める。
婚外子差別訴訟
(2013年)
【内容】婚姻届を出してない男女の間に生まれた子(婚外子)の遺産相続額が、通常の子の半額となってしまう民法の規定が、憲法14条の平等権に違反するとして訴える。
【判決】民法の規定が違憲判決を受け、婚外子にも、結婚している男女の間の子と同基準の遺産相続を認める。
女性再婚禁止期間訴訟
(2015年)
【内容】民法の規定により女性のみ離婚後6か月間は再婚できないという規定は、憲法24条の両性の本質的平等に違反するとして訴える。
【判決】女性のみにこのような制約を設けるのは過剰であると判断され、100日を超える再婚禁止規定が違憲判決を受ける。

 やはり、男女差別がからむ裁判が多かったという印象があります。それほど、日本では男女差別に関する認識が国際感覚とずれているということでしょうか。
 それ以外に、最高裁判所が違憲判決を出さなかったものも2つほど紹介します。

マクリーン事件
(1978年)
内容】在留資格を持ったアメリカ人が、無許可で転職したことと、政治活動へ参加したことを理由に日本国内への在留期間の延長が認められなかったため、訴えを起こす。
【判決】在留期間の延長は認められなかったが、外国人であっても政治活動への参加などの基本的人権が認められることが確認された。
夫婦別姓訴訟
(2015年)
内容 】「選択的夫婦別姓の会」を結成した女性たちが、選択的夫婦別姓を認めない民法の規定が憲法24条の両性の本質的平等
に違反するとして訴える。
判決】名字が統一されることは日本の家族制度に定着しており、合理性が認められているとして合憲判決
⇒しかし、国連からは是正勧告(批判)を受ける。

 夫婦別姓訴訟で、裁判官たちが選択的夫婦別姓を認めなかった根拠の一つに、「民法では決して女性が男性の名字に変えることを強制しているわけではなく、男性が女性の名字に変えることも可能にしているわけだから差別ではない」というのがあったのですが、実際には結婚した夫婦のうち96%が女性が夫の名字に変更しており、名字を変更したために発生する面倒な事務手続きや、生活の変化への対応などを女性に押し付けてしまっています。そう考えると、選択的夫婦別姓を認めるかどうかの議論も大切ですが、名字は女性が変えるのが当然であると考えてきた日本人の感覚を変えることの方が先なのかもしれません。

3.自由権
 さて、今度は一番種類の多い自由権です。そんな自由権は次の3つに分類することができます。
 ・精神の自由=個人の考えなど、頭の中の自由。
 ・身体(人身)の自由=政府により、体を傷つけられない自由。とくに逮捕、裁判時における権利。
 ・経済の自由=お金もうけ、財産に関する自由。
 これらの中に、どんな権利が含まれるかは、1番最初に出てきた表を確認してください。では、精神の自由から順番に説明していきましょう。

精神の自由思想・良心の自由(19条)、信教の自由(20条)、集会・結社・表現の自由(21条)、学問の自由(23条)
 2時間目:世界の政治で説明したように、大日本帝国憲法(明治憲法)下の人権はあくまで臣民の権利であり、保障されている権利も現在と比べて少なく、例えば「思想・良心の自由」や「学問の自由」は規定されていませんでした。その結果、1935年には、天皇は政治機関の一つであるとする東大教授美濃部達吉の学説が、国の方針に違反するとして、美濃部達吉の本が出版禁止となり、美濃部達吉は東大教授と貴族院議員を辞職させられるという、「学問の自由」が侵された天皇機関説事件も起きました。

 また、「法律の留保」の規定により、国民の自由や権利を制限する治安立法も作られたため、政府を批判する思想は許されず、戦争に反対しただけで警察に逮捕、拷問されたりもしました。そんな反省から、日本国憲法では精神の自由を充実させることにしました。にもかかわらず問題も起きています。

●精神の自由をめぐる裁判

愛媛玉ぐし料訴訟
(1997年)
内容】愛媛県知事が県の税金から、靖国神社(日本の戦没者を祭る神社)と愛媛護国神社に玉ぐし料約16万円を寄贈したことは、憲法20条の信教の自由の政教分離の原則に違反するのではないか。
【判決】玉ぐし料という寄付金は、特定の宗教を支援することにつながるので、政教分離に違反し、違憲判決
⇒県知事は愛媛県に玉ぐし料を返還。
空知太神社訴訟
(2010年)
内容】北海道砂川市が市有地を無償で空知太神社に貸しているのは、特定の宗教に支援することにあたり、憲法20条の信教の自由の政教分離の原則に違反するのではないか。
判決砂川市が特定の宗教を支援していると見られても仕方がない状態であり、違憲判決。砂川市は有償で土地を神社に貸し出すことにした。
孔子廟訴訟
(2021年)
【内容】沖縄県那覇市が市有地を無償で孔子廟に貸しているのは、特定の宗教に支援することにあたり、憲法20条の信教の自由の政教分離の原則に違反するのではないか。
【判決】那覇市が特定の宗教を支援していると見られても仕方がない状態であり、違憲判決。那覇市は使用料の免除を取り消し。

 憲法20条「信教の自由」では、国が特定の宗教をひいきしてはならないという政教分離の原則を規定しているのですが、愛媛玉ぐし料訴訟、空知太神社訴訟、孔子廟訴訟では、愛媛県知事、砂川市、那覇市の行為が、この原則に違反しているとして、違憲判決を受けました。それに対し似たような裁判であるにもかかわらず、下で紹介する津地鎮祭訴訟では、違憲判決は出ませんでした。つまり、上の2つの裁判では、愛媛県知事や砂川市、那覇市が特定の神社や施設にお金や土地のかたちで援助したとみられたのに対し、津地鎮祭訴訟では神社に提供された7000円は、あくまで工事の安全を願う地鎮祭の費用であり、神社をひいきしたものではないと捉えられました。つまり、同じ神社にお金を渡すのでも、その目的により違憲も合憲もありうるということです。

東大ポポロ事件
(1963年)
【内容】東京大学の学生サークル「劇団ポポロ」が大学構内での政治的題材の劇を上演したところ、私服警官が調査にやってきているのを学生が発見し、暴行を加えた。
【判決】警官の行為は、憲法23条の学問の自由に認められる大学の自治の侵害に当たるとして、学生たちは無罪を主張。しかし、劇団ポポロの劇は、政治色の濃い内容であり、学問研究と認められなかったため、警察の行為は合憲とされ、暴行を加えた学生は有罪。
三菱樹脂事件
(1976年)
【内容】一度は会社への採用が内定していた学生が、学生時代に安保闘争へ参加していたことを会社が知った後に採用を取り消され、
憲法19条の思想・良心の自由が侵害されたとして訴えた。
【判決】和解が成立し、学生は13年ぶりに復職できた。しかし、裁判所は、企業にも好きな人を採用する「雇用の自由」があるという理由で、この件は思想・良心の自由の侵害には当たらないと判断した。⇒憲法19条「思想・良心の自由」は国に対しての自由であり、企業に対しての自由ではない
津地鎮祭訴訟
(1977年)
【内容】津市が市立体育館工事の安全を願う行事に、特定の神社に謝礼金7000円を公金から支払ったことは、憲法20条の信教の自由の政教分離の原則に違反するのではないか。
【判決】この行事は安全を願うことを目的とするものであり、金額も少額で、宗教活動というほどでもないので政教分離の原則に違反するとは言えず、合憲判決
家永教科書訴訟
(1997年)
【内容】家永三郎氏が第二次世界大戦中の日本軍の残虐行為を記述した日本史の教科書を作ったところ、文部省の教科書検定にパスせず、家永氏は、教科書検定は、憲法21条の表現の自由が禁止する「検閲」にあたるのではないかと訴えた。
【判決】教科書検定は教育内容の統一のためには必要なシステムであるという判決により、検閲には当たらないとして、家永氏の訴えは却下。


●身体の自由(人身の自由)奴隷の禁止(18条)、罪刑法定主義(31条)、令状による逮捕(33条)、抑留・拘禁の禁止(34条)、令状による捜査(35条)、拷問・残虐な刑罰の禁止(36条)、被告人の身分保障(37条)、自白強要の禁止(38条)、遡及処罰の禁止・一事不再理
(39条)

 次は、身体の自由です。数も多いし、意味の分かりづらい言葉も多いし、面倒くさいので、できたら説明したくないところですが、そうは言っていられないので、できる限り説明しましょう。

 身体の自由とは、簡単に言えば「体を傷つけられない自由」ですが、具体的には、警察官や検察官などによる捜査の段階で自分たちの体を守る権利と言い換えることもできます。ですので、ここで勉強することは7時間目:裁判所で関わってきます。
 ここでは、身体の自由の中でもわかりにくい言葉を4つほど解説します。

 第31条:罪刑法定主義
 罪刑法定主義とは、どんなことが犯になり、その犯罪をすればどんな罰になるかは、律でめらなければならないという考え方です。つまり、法律に基づかず、独裁者たちが独断で、犯罪を指定したり、重い刑罰を科したりするのを防ぐ考えです。

 第33・35条:令状主義
 現行犯をのぞき、日本の警察や検察官が、容疑者を逮捕したり、住居の中に入って捜査・証拠品の押収をするときには令状が必要です。しかもこれらの令状を発行できるのは裁判官です。ここもポイントです。刑事ドラマを見ていると「令状」という言葉が出てきて、令状はてっきり警察署の署長あたりが出しているのかと勘違いするのですが、実際は裁判所の裁判官が発行することになっています。

 第39条:遡及処罰の禁止、一事不再理
 遡及処罰の禁止は、あとから作られた法律で昔の犯罪を裁いてはダメだというルールです。そうしないと、未来に作られる法律なんか予想して守られるわけありません。
 最後に一事不再理です。日本の裁判では3回まで裁判をやり直すことができるのですが、3回目の裁判で無罪が確定したら、その裁判はもう終わりですよというルールです。というのが、日本の裁判には再審というルールがあり、3回目の裁判が終わっても新しい有力な証拠が見つかれば、最初から裁判をやり直すことができるのです。しかし、再審が適用されるのは有罪になってしまった人のみで、無罪の人は3回目の裁判が確定判決なので、もう安心してね、というルールです。

 私も、暴行事件の被害者(あくまで被害者です。加害者ではありません。念のため…)になった時、悪いことをしたわけではないのに、警察署の狭い取調室で事情を聞かれ、私があいまいな説明をしただけで、するどいツッコミをいれてくる警察官に威圧感を感じたことがありました。この時は、別に私が話したことが嘘だと思われても、自分が有罪になるわけではないので、なんとか落ち着いて話すことができたのですが、もし、これが自分の有罪がかかり、代用監獄のような劣悪な状況におかれた中で、長時間、執拗に尋問されるとなると…、やってない犯罪を認めてしまう気持ちもわかるような気がしました。そのような悲劇を起こさないためにも、人身の自由、とっても大切な権利です。

●経済の自由(経済活動の自由)居住・移転・職業選択の自由(22条)、財産権(29条)
 最後に経済の自由。これは基本的にはお金もうけのための自由で、好きな職業について(職業選択の自由)、好きなところに住んで(居住・移転の自由)、好きなものを買って手に入れて奪われないこと(財産権)などを保障しています。そして、経済の自由をめぐっても2回ほど、最高裁判所から違憲判決が出ました。

薬事法事件
(1975年)
【内容】新たな薬局を開設しようとしたところ、半径100m以内に2軒以上の薬局を開設してはいけないという薬事法の規定から、広島県が許可を出さなかったので、この規定は憲法22条の職業選択の自由に違反するとして訴える。
【判決】この規定が必要なものであるとは考えられないので違憲判決。薬局の開設は認められた。
共有林分割訴訟
(1987年)
【内容】兄弟で共同所有する森林を、弟が分割して売却しようとしたところ、森林は自分の持ち分が過半数を超えないと分割・売却できないという森林法の規定から、兄の反対により売却することができなかったが、弟が、この規定は憲法29条の財産権の規定に違反するとして訴える。
【判決】森林法の規定が違憲判決を受ける。訴えは認められ、森林の売却は認められた。


4.社会権
 次に社会権です。1時間目:民主政治のところで自由権と社会権の違いを説明したのを覚えていますか? 社会権とは、国に人間らしい最低限度の生活を保障してもらう権利です。日本国憲法では大きく分けて3種類の社会権を保障しています。

生存権(25条)・・・人間らしい最低限度の生活を国に保障してもらう権利。
教育を受ける権利(26条)・・・社会で生きていくための必要最小限の知識や能力を教育してもらう権利。
労働基本権(27,28条)・・・生活していくための仕事を与えられ、人間らしい労働環境で働く権利。

●生存権
 この3つの中で中心となるのが生存権です。貧困、失業、高齢化、病気、ケガ、障害、母(父)子家庭など、私たちは、何らかの理由で、生活費が足りず、人間らしい生活が送れなくなる場合があります。そんなとき、国が生活費を援助してくれたり、様々な政策で弱い立場の人たちを助けてくれるというのが生存権の保障です。これについては、憲法25条に規定してあります。

  ~第25条~
① すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上および増進に努めなければならない。

 第②項の生存権保障のための国の目標は、22時間目:社会保障とも大きく関わってきます。
 こんな規定があるので、もしみなさんが困ることがあっても国が助けてくれるから安心してください! と言いたいところですが、国にもみなさんを助ける税金が無限にあるわけではありません。というわけでこんな裁判がありました。

●生存権をめぐる裁判

朝日訴訟
(1967年)
【内容】肺結核で入院中の朝日茂氏が、国から支給される月600円の生活保護費だけでは、憲法25条生存権で保障する最低限度の生活を保障できていないとして訴えを起こす。
【判決】憲法25条の生存権の条文は、国の目標を示しているだけであり、国民の具体的な権利を示しているわけではない。よって、この規定をめぐって国民が国を訴えることはできない(=プログラム規定説)として、訴えは却下。その後、朝日氏が死亡して、裁判は終了。
堀木訴訟
(1982年)
【内容】母子家庭で全盲の堀木フミコ氏は、障害者年金を受け取りながら児童扶養手当を受け取ろうとしたが、児童扶養手当法によりこれら2つを同時に受給することは禁止されていたため却下され、訴えを起こす。
【判決】朝日訴訟と同じように、プログラム規定説が適用され、堀木氏の訴えは却下。

 身よりもないのに肺結核という重い病気にかかってしまった岡山県民の朝日さんは、生存権の規定に従って入院費の全額を国に負担してもらい、国から支給された月600円の生活費で生活していました。今と物価が違うので1ヶ月の生活費が600円なんて聞くとびびりますが、今のお金に換算すると月々1万円ぐらいだと思ってください。当時の記録によると、少ないお金を何とかやりくりして石鹸や歯ブラシなどの日用品を購入し、1年間を1枚のパンツ、2足の靴下で過ごしていたというという貧しい生活です。重い病気にかかっているのに、替えのパンツも靴下もない。人間として最低以下と言ってもいい悲惨な生活でした。

 しかし、その後、それまで連絡の途絶えていた朝日さんのお兄さんが、月1500円の仕送りをしてくれることになりました。朝日さんは大喜びです。単純計算しても今までの2.5倍の生活が送れると思ったわけです。しかし、それを受けて国は、朝日さんに対し月600円の生活費支給を停止することと、今まで国が全額払っていた入院費をこれからは月900円ほど朝日さんに負担してもらうことを通達しました。どういうことかわかりますか? 引き算してください。1500円―900円=600円。つまり、せっかくお兄さんが月1500円の仕送りをしてくれることになったのに、朝日さんの実際の生活費は月600円のままでした。それに対して、怒りの朝日さんが国を「月600円の生活なんて、人間の生活じゃねえよ!もっと生活保護費をあげてくれよ。」と訴えたのが朝日訴訟です。

 そして、この裁判において裁判所はプログラム規定説という考えを打ち出し、朝日さんは裁判に負けてしまいます。プログラム規定説とは「憲法25条の生存権の規定は国の目標(プログラム)を規定しているだけであり、生存権の基準をめぐって国民は裁判をおこすことはできない」という考えのことです。
 例えば、私が自分の生徒たちに対して、「どんなことがあっても、お前たちは俺が絶対守る!」というかっこいい目標を宣言したとしましょう。なのに、ある生徒が下校途中にチンピラに絡まれ、ボコボコに殴られてて大ケガをしましたとしましょう。だからといってその生徒は「飛垣内先生が僕を絶対守るという約束を守らなかった!」といって訴えることはできません。あくまで私の「お前たちは俺が絶対守る!」というのはしょせん目標(プログラム)に過ぎず、義務ではないのだから…。そんな「理屈はわかるけどなんかムカつく理論」それがプログラム規定説です。確かに理屈はわかるんですが、国もそんな理論で考えていいのかな? とは思います。さらに、このプログラム規定説によって堀木訴訟も、堀木さんの訴えが退けられました。生存権をめぐる裁判では、日本政府と裁判所は弱者に厳しいのでしょうか…?

●教育を受ける権利
 次に教育を受ける権利についてです。
 教育を受ける権利が保障されているおかげで、私たちは小学校、中学校という義務教育をタダで受けることができましたし、それ以外にも教育を受ける機会を国が保障してくれています。
 教育を受ける権利は憲法26条に規定されていますが、この条文の中に「すべて国民は、法律の定めるところにより」という記述があります。ここでの「法律」にあたるのが、教育界における憲法といわれる教育基本法です。ですので、日本の教育は、この教育基本法を基本方針として実施されています。

●労働基本権
 最後に、労働基本権について説明しましょう。労働基本権に中にもさらにいくつかの分類があります。ここは21時間目:労働問題とも関わってきます。

 労働基本権とは、労働者のための基本的な権利全般のことを指し、さらにこの労働基本権が、勤労の権利(27条)と労働三権(28条)に分類されます。勤労の権利とは就職の機会を国に保障してもらい、人間らしい環境で働く権利のことです。そして、労働三権とは、団結権、団体交渉権、団体行動権(争議権)のことで、弱い立場にある労働者たちが使用者(社長などの経営者)と対等の立場で戦うために団結して労働組合を作り団結権)、使用者と交渉し団体交渉権)、いざとなればストライキなどの争議行為を起こす団体行動権)権利のことです。これらの権利が保障されることより労働者たちは使用者に、安い賃金でこき使われるのを防ぐことができます。

 労働三権は憲法28条により、全ての労働者に保障されていますが、日本では例外として公務員には労働三権を制限しています。以下の図がその一覧です。

  団結権 団体交渉権 団体行動権(争議権)
警察・消防・自衛隊・海上保安庁・監獄職員 × × ×
一般公務員 × ×
公営企業(水道局、印刷局など) ×

 特に、日本では団体行動権(争議権)は全ての公務員に認められていません。確かに、犯罪や火事が起きても、警察や消防署がストライキ中でいない、なんてことになると、困るような気もしますが、2時間目:世界の政治のところで扱ったように、国際人権規約では公務員にも争議権を認めるというのが国際基準となっています。

 公務員に団体行動権を与えない救済措置として、国家公務員のためには人事院、地方公務員のためには人事委員会という行政機関が設置され、これらの機関が民間企業の給料を調査して、公務員の妥当な給料を決定するようにしています。

5.請求権
 これだけ、憲法で権利を保障しているにもかかわらず、なかには権利を侵害され、悲しい思いをする人が出てきます。そんな人たちを助けるために保障されているのが請求権です。

請願権(16条)・・・国や地方公共団体に意見や苦情を訴えることができる権利。
国家賠償請求権(17条)・・・国の機関や公務員のミスにより被害を受けた場合、お金による保障を受け取ることができる。
裁判を受ける権利(32条)・・・裁判によって問題を解決してもらう権利。
刑事補償請求権(40条)・・・無罪なのに裁判にかけられた場合、無罪が確定した時点で、お金による保障を受け取ることができる。

 みなさんがもし自分の権利を侵害され、嫌な思いをすることがあれば、請願権をつかって市役所などに訴えるなり、裁判をおこす(=裁判を受ける権利)なりしてみてください。ちなみに私も、住んでいた市が行う道路工事現場で、建築業者のミスにより私の運転する自転車が転倒してケガをしたことがありました。この時には相当腹が立ったので、市役所に電話して苦情を言ったら(=請願権)、市からお詫びと治療費をかねて約1万5000円もらえました(=国家賠償請求権)。この時は、別にお金が欲しくて電話したわけではないのですが、結果的に、国家賠償請求権も使う形になりました。

●国家賠償請求権をめぐる裁判

郵便法事件
(2002年)
【内容】郵便配達の遅れにより、780万円の損失を受けた会社社長が、郵便局(当時は国の機関)に損害賠償を訴えた。しかし、郵便法の規定によれば、郵便物の遅れによる損失に関しては郵便局が損害を賠償する義務はなかった。
【判決】郵便局の配達ミスによる損害は、憲法17条の国家賠償請求権の対象に当たるという判断で違憲判決

 私は、郵便局のミスで、年賀状が1月1日に1枚も届かなかった年がありました。どうやら、アルバイトが私宛の年賀状の束をなくしてしまったっぽいです(たぶん友達がいないわけではないと思うのですが…)。しかし、年賀状のような普通郵便であればもし郵便局が無くしたとしても郵便局側には弁償する義務はありません。ただ、速達郵便以上の特別な郵便物を「無くした」場合、郵便局には弁償の義務があります。それでも、配達が「遅れた」ことによる弁償の義務はどんな郵便物であれ、郵便局側に弁償の義務はありませんでした。しかし、当時はまだ国の機関のであった郵便局がそれじゃあ無責任であろうということで、最高裁判所は憲法17条の国家賠償請求権に基づき、違憲判決を出しました。

 もう一つ、刑事補償請求権について説明します。日本の裁判制度の正確さは、世界的にみてもかなり評価は高いのですが、それでも、残念ながら無罪の人が有罪判決を受けてしまうという冤罪が何度か発生しています。その中でも、死刑判決が再審により無罪に覆ったものだけでもこのような裁判があります。

事件名 請求者 罪状 無罪確定までの年月 刑事補償金額
免田事件 免田栄さん 強盗殺人 34年8ヵ月 9071万2800円
財田川事件 谷口繁義さん 強盗殺人 34年1ヵ月 7496万6400円
松山事件 斎藤幸夫さん 強盗殺人 29年9ヵ月 7516万8000円
島田事件 赤堀政夫さん 殺人 34年5ヵ月 1億780万5400円

 これらの裁判では、事件が発生して逮捕され無罪が確定するまでに約30年もたっています。つまり、この事件の被告人となった人たちは、警察官や検察官の捜査や裁判のミスのため、人生の大半を裁判に費やされてしまいました。彼らの青春時代はもう戻ってきませんが、刑事補償請求権を使うことにより、国からお詫びのお金として刑事補償金が支給されます。お金だけでは解決できる問題ではありませんが、せめてこのお金で、残った人生を充実したものにして欲しいものです。

6.参政権
 次は参政権です。参政権とは政治に参加する権利のことですが、実際に政治を行っているごく少数の政治家たちを除いて、国民の大多数は、選挙で政治家を選ぶ選挙権しか持っていません。このように選挙に参加することによって間接的に政治に参加することを間接民主制といいます。つまり基本的に日本は間接民主制の国なのですが、日本国憲法には、国民が直接自分たちの意見を政治に反映できる直接民主制を、3つほど規定しています。

最高裁判所裁判官の国民審査(79条)   ②地方自治特別法の制定(95条)   ③憲法改正(96条)

 みなさんが衆議院議員総選挙に行った時、衆議院議員を選ぶ投票用紙とは別に国民審査の投票用紙を受け取ります。その用紙には、最高裁判所で働く15人の裁判官のうち、就任したての人と、就任して10年以上たった人の名前が書かれているので、もしその中にもし気に入らない裁判官がいたら×を付けて投票してください。その投票用紙を集計した結果、国民の過半数に×を付けられた裁判官がいたら辞めさせられるというのが国民審査の制度です。

 次に地方自治特別法についてです。基本的に国会は、日本全国に通用する法律を作るところですが、1949年に、原爆で荒廃した都市を再建するためにつくられた広島平和記念都市建設法長崎国際文化都市建設法のように、広島市、長崎市のような特定の市町村のためだけの法律をつくることもあります。このような法律のことを(地方自治)特別法というのですが、特別法を制定するときは、国会での決議のあとその該当する市町村の住民による直接の投票で過半数を獲得しないと制定することはできないというルールがあります。ですので、広島平和記念都市建設法や長崎国際文化都市建設法が制定された時には、広島市民と長崎市民による住民投票が行われました。

 最後に憲法を改正するときには、国会で総議員の3分の2以上の賛成を得たあと、国民による直接投票により過半数の賛成を得ないと改正することはできないというルールがあります。これは2時間目:世界の政治で説明したとおりです。

 以上、憲法によるとこの3つのパターンの時、国民の直接投票を政治に生かすことができることになっていますが、実際には、国民審査でやめさせられた裁判官は一人もいないし、特別法の投票も1952年に伊東市で住民投票が行われたのを最後に実施されていないし、憲法改正の投票なんか行われたことすらないので、けっこう日本国憲法における直接民主制の制度は、あまり役に立ってないと言うことができます。

●参政権をめぐる裁判

在外選挙権制限訴訟
(2005年)
【内容】国政選挙では、外国に住む日本人には、比例代表制しか選挙権が認められていなかったが、憲法44条の選挙権の平等を根拠に、選挙区制の投票権も認める要求が出てきた。
【判決】選挙区制の投票を制限する理由は適当でないという判断から違憲判決。選挙区制の投票も認められる。
国民審査制限訴訟
(2022年)
【内容】衆議院議員総選挙の際に行われる、最高裁判所裁判官の国民審査の投票を、海外に住む日本人は行うことができない規定に対し、憲法44条の選挙権の平等を根拠に、投票権を認める要求が出てきた。
【判決】国民審査の投票を認めないという理由は適当でないという判断から違憲判決。国民審査の投票が認められる


7.個人の尊重・幸福追求権
 日本国憲法は、第3章で10条から40条までかけて長々と基本的人権に関して規定します。ここまで説明してきた権利は14条から40条までに書かれますが、その前にある10条~13条では「基本的人権とはこういうものだよ」「何のために基本的人権が保障されているのか」という基本理念が書かれています。その中でも、特に重要なのが個人の尊重幸福追求権、そして公共の福祉について書かれている憲法第13条です。

  ~第13条~
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 なぜ、基本的人権が保障されるのか? それは、個人を尊重するためです。大日本帝国憲法の頃は、日本人は国のために戦って死ぬことが美徳とされ、個人よりも国家の存続・繁栄を優先させることが当然! という時期もあったのですが、日本国憲法では、国よりも個人が大事よ! という優しい考えに変わりました。

 さらに、国民の幸福を実現するためにも、基本的人権の保障が必要なのです。憲法13条では、幸福追求権を保障しているので、みなさんもぜひ自分の幸せを追求してください。しかし、何が幸せかというのは、人によって違いますよね? 恋人と一緒にいるのが幸せと感じる人もいれば、おいしいものを食べている時が幸せという人、中には人を殺すことが快感だと感じる異常な人もいるかもしれません。そう考えたら幸せの定義なんて難しいので、そのために「公共の福祉に反しない限り」という補足があります。公共の福祉についてはこの後説明します。

 そんな定義が難しい「幸福」追求権ですが、定義があいまいということは、幅広く解釈できるということでもあります。その結果、この憲法13条があるおかげ、14条~40条までに規定されている権利だけではカバーしきれない権利・自由に対応することができています。具体的には、このあと説明する新しい人権をめぐる裁判で、憲法13条は大活躍します。

●憲法13条をめぐる裁判

性別変更手術要件訴訟
(2023年)
【内容】性同一性障害特例法によると、戸籍上の性別を変更するためには性転換手術を受けることが義務付けられていた。
【判決】全ての国民に、憲法13条により個人が尊重されており、体を傷つける手術を受けなければ戸籍を変更できないというのは不合理なルールは違憲判決

 男は男らしく、女は女らしく生きる、のが幸せとは限りませんよね。幸せの形なんて人それぞれだし、人間の価値観も人それぞれです。この性別の問題のように、昔は世間的に当たり前だと思っていたことが、実は間違っていたなんてこともしょっちゅうです。そう考えると、柔軟な考えを持ち、自分の幸せを追求するするだけでなく、他人の幸せも応援できる! そんな社会や自分でありたいですね。

8.新しい人権
 日本国憲法はいまから約80年前に作られましたが、この80年間で社会も多く変化してきました。そんな時代の流れの中で、「憲法には載ってないけど、こんな権利も保障しないといけないのではないか」と考えられ、裁判の中で主張されるようになって来た権利、それが新しい人権です。裁判で主張され、学校の教科書に載り、受験で聞かれるくらい大切な権利なら、とっとと憲法に付け加えればいいじゃん、と思う人もいるかもしれませんが、前に触れたように、日本国憲法は改正の方法がむちゃくちゃ複雑で、今まで改正されたことが一度もありません。その関係で、今から説明する環境権、プライバシーの権利、知る権利などはどう見ても大切な権利なのですが、憲法には付け加えられず、いつまでたっても新しい人権のままです。しかし、これらの権利は50年以上前から主張されています。ぜんぜん「新しい」ことないのですが…。
 新しい人権として有名なものとして、このような権利があります。

環境権 快適で人間らしい環境で生活する権利  
⇒憲法の 幸福追求権(13条)、生存権(25条)を根拠
プライバシーの権利 個人の情報をみだりに公開されず、自分で情報をコントロールする権利。  
⇒憲法の 個人の尊重(13条)を根拠
知る権利 国や地方公共団体の保有する情報を知る権利  
⇒憲法の 表現の自由(21条)を根拠
アクセス権 マスメディア(テレビ局・新聞社など)に意見発表の機会を求める権利  
⇒憲法の 表現の自由(21条)、個人の尊重(13条)を根拠
自己決定権 どのように生き、どのように死ぬかは自分で決定する権利  
⇒憲法の 幸福追求権(13条)を根拠
忘れられる権利 ネットなどに載った不利益な情報を削除してもらえる権利  
⇒憲法の 個人の尊重(13条)を根拠

 ●環境権
 日本国憲法が制定された頃の日本では、環境問題は深刻な問題ではありませんでしたが、高度経済成長期に工業化が急速に進んでいく中で公害などが発生し、我々の生活環境は荒廃し、人間らしい環境で生活する権利である環境権が主張されるようになりました。
 さきほど説明したように環境権は憲法には載っていませんが、新しい人権が裁判で主張されるときは、憲法に載っている権利とこじつけるような形で主張される傾向があります。ちなみに環境権は13条の幸福追求権と、25条の生存権です。

 つまり憲法には「環境権」という言葉はないけど、憲法13条に「幸福追求権」があるのならば、幸福な環境を追求する権利もあるはずだ。さらに25条に「生存権」という人間らしい最低限度の生活を保障してもらう権利があるのなら、人間らしい最低限度の環境も保障してもらう権利もあるというわけです。裁判ではこのような理論により環境権が主張されてきました。

大阪空港公害訴訟
(1981年)
【内容】工事の計画ミスにより、大阪空港(伊丹空港)周辺の住民が、基準値をはるかに超える騒音に悩まされ、住民たちは賠償金と夜間飛行の差し止めを請求する。
【判決】住民への賠償金は支払われたが、夜間飛行の差し止めは認められなかった。 
⇒裁判の中で「環境権」は、認められなかった。

 大阪空港(伊丹空港)は大阪、神戸からそんなに離れていない住宅密集地のど真ん中にあり、観光客から見れば、離着陸時に大阪ドームや大阪城や通天閣などが窓から見えて、けっこう楽しかったりするのですが、この空港ができたことにより、建設前の住民への説明よりもかなりうるさい騒音が発生してしまったため、住民たちは怒って裁判に訴えました。裁判の結果、住民たちは一応勝利して、空港を建設した国から賠償金を受け取ることはできたんですが、住民たちが要求した夜10時から朝5時までの夜間飛行の差し止めは残念ながら認められませんでした。住民たちはかわいそうでしたが、その後、新しい解決策として、夜間飛行が可能な国際便用の空港として、住宅地から離れた沿岸埋立地に、関西国際空港が作られたわけです。

 ●プライバシーの権利
 情報化がすすむことにより、プライバシーの権利が主張されるようになりました。例えばパソコンが発達するのは確かに便利ですが、知らないところで自分の情報が出回るなんてたまったもんじゃありません。プライバシーの権利も憲法には載ってませんが、裁判の時にはさっきも出てきた第13条の中の「個人の尊重」が根拠とされます。つまり憲法に「個人の尊重」が主張されているのなら個人のプライバシーの尊重も主張されていいはずだ、ということです。

『宴のあと』事件
(1964年)
【内容】三島由紀夫の小説『宴のあと』が、実在の政治家の私生活を題材にして書かれたものであった。
判決】裁判所が初めてプライバシーの権利を認め、政治家が勝訴。三島氏は政治家に賠償金を支払う。
『石に泳ぐ魚』事件
(2002年)
内容】柳美里の小説『石に泳ぐ魚』が、本人の許可なく、実在の女性をモデルに書かれていた。
【判決】公的立場にもない女性のプライバシーの権利を著しく侵害したとして、女性の訴えは認められ、最高裁判所はこの小説の出版停止を通告した。

 新しい人権のほとんどが、結局のところ裁判で認められていないのですが、プライバシーの権利だけは『宴のあと』事件によって裁判所が認めることとなりました。そして、『石に泳ぐ魚』事件の時には、「プライバシーの権利」を理由に、最高裁判所が小説の出版停止を命じるなど、情報化が進む現代においてプライバシーの権利はかなり重要視されてきているのがわかります。
 しかし、プライバシーの権利が今後問題になりそうな法律もあります。

1999 通信傍受法 犯罪捜査のために警察が電話の通話を盗聴し、個人のメールやSNSを閲覧することを認める。
2002 住民基本台帳ネットワーク 住民情報を11桁の個人番号の下に管理することにより、地方自治体における事務の効率化を目指す。
2003 個人情報保護法 個人が識別可能な情報の不正入手や、本人の同意なしでの利用を禁止し、違反者を処罰する。
2013 マイナンバー法 全国民に12桁の個人番号をつけ、いままでバラバラに管理していた住民情報・租税・医療・年金などの情報を結び付けることにより、行政手続の簡素化、租税・保険料の確実な徴収を目指す。

 通信傍受法の制定により警察官が凶悪犯罪の捜査のために、国民の電話を盗聴したり、メールを見たりできるようになりましたが、犯罪に関係ない人の会話も盗聴される危険性もあり、プライバシーの権利が問題となっています。

 さらに、2013年に制定されたマイナンバー法により、日本国民全員に12桁の番号をつけ、個人の情報を国のコンピュータが一括管理するようになりました。これにより日本政府が国民の所得などを確実に管理し、納税や保険料の徴収がスムーズにいくなど、政府側にはメリットが大きいのですが、我々国民からすると、マイナンバーが流出してしまったら、この家はお金を持っているかとか、結婚歴・離婚歴・病歴などの知られたくない情報が漏れてしまう危険性もあります。

 2003年に制定された個人情報保護法はプライバシーの権利を保障するための法律です。ただ、プライバシーを守りすぎると、今度は、自由な報道に規制がかかり、自由なテレビ番組や出版ができなくなる可能性もあります。例えば、ある政治不正についてニュースで流そうと思ったら、関係者の許可が取れなかったので放送できない。なんてこともありえます。プライバシーの問題は難しいですが、残念ながら、今後、情報化社会が進み、世の中が便利になればなるほど、プライバシーをめぐる問題はさらに複雑になるでしょう。

 ●知る権利
 知る権利とは政府が管理している情報を知る権利のことです。政治がどのように行われているのか。特に国民が払った税金がどのように使われているかといった情報は、国民にきちんと知らせないといけないし、そういった情報が国民に知られてしまうと思ったら、政治家や公務員たちも悪いことはできません。しつこいようですが、知る権利も憲法には載ってません。その代わりに憲法21条の「表現の自由」を根拠に主張されています。

 表現の自由を根拠に知る権利が主張というのはいまいちわかりにくいので、もう少し説明すると、テレビ局や新聞社たちが正しい情報(ニュース)を表現しようと思ったら正しい政府の情報を知る権利が必要となってきます。つまり、ここでの表現の自由を根拠にした知る権利とは、テレビ局や新聞社といったマスメディアを通じて私たちが知る権利を意味します。

 1980~1990年代にかけて、政治家や公務員が不正に国民の税金を使い込んでいる事件が多発し、国民の政治不信が高まりました。公務員が、出張費といつわって、税金を自分のものにしていたり、勉強会といつわって、そのお金で風俗店に行っていたりとひどいものでした。その反省を受けて、1999年には情報公開法が制定され、これによりだれでも(外国人でも)請求すれば政府の情報を知ることができるようになりました。しかし、ここで公開される情報は内閣(行政機関)に関する情報に限られ、国会や裁判所に関する情報は請求することができません。あとは、防衛に関する情報や個人の秘密に関する情報もダメです。

1999 情報公開法 中央省庁の行政文書を要求(要求するのは日本人でも外国人でも可能)があれば、公開することを定める。
2014 特定秘密保護法 自衛隊や安全保障問題など、特定秘密に指定された情報は国民に公開されず、漏らした場合は罰則が加えられる。

 そんな知る権利を侵害するのではないかという疑いがあるのが2014年に制定された特定秘密保護法です。この法律の施行を受けて、2023年末の時点で政府の情報のうち751件が特定秘密に認定され、国民に公開されないことになっています。確かに外交上・防衛上問題になるような情報は、公開されないことも必要かもしれませんが、あまりに多くの情報が秘密となり、その情報がどんな情報なのかまったく知らされないのは、知る権利表現の自由に反するとしてジャーナリストたちが訴えています。

 ●アクセス権
 アクセス権は、テレビ局や新聞社などマスメディアの影響力が強くなった現代において、テレビ局や新聞社などに反論する権利のことをいいます。

サンケイ新聞意見広告事件
(1987年)
【内容】サンケイ新聞に自民党が共産党を批判する意見広告を出したところ、共産党がサンケイ新聞に対してアクセス権を主張し、同一スペースの意見広告の無料掲載を要求したが、サンケイ新聞はこれを拒否した。
【判決】アクセス権は認められず、サンケイ新聞に無料掲載の義務はないとして、共産党が敗訴。

 この裁判では、アクセス権は認められませんでしたが、今後、情報化がさらに進み、マスメディアの影響がさらに強くなっていくと、アクセス権は必要になるかもしれません。

 ●自己決定権
 自分の生活スタイル、生き方、死のあり方は自由に選ぶことができるというのが自己決定権です。例えばこのような問題があります。

2009 臓器移植法改正 ①生前に意志を示していたもののみ脳死は人の死⇒脳死は人の死
②本人の生前の意思確認が必要⇒家族の同意があれば移植可能
③15歳未満の臓器移植は禁止⇒何歳でも臓器移植は可能
④移植先患者の指定は禁止⇒死亡した人の親族を優先して移植

 1997年に臓器移植法が制定され、これにより脳死判定された人の臓器を他人に移植することができるようになったのですが、この法律が2009年に改正され、このように変わりました。

 ★2009年 臓器移植法改正のポイント
  ①(改正前)基本的に「脳死=人の死」ではなく、生前にドナーカードで臓器移植の意思を示していた人のみ「脳死=人の死」と判断され臓器移植を実行
   ⇒法律上どんな人であっても「脳死=人の死」と判断
  ②(改正前)生前に本人が臓器移植の意思を示していた時のみ、臓器移植が可能
   ⇒本人が臓器移植の意思を示していなくても、生き残った家族の同意があれば臓器移植が可能
  ③(改正前)15歳未満の臓器移植は禁止(乳幼児の臓器移植はアメリカなどの病院で行われていた)
   ⇒何歳であっても臓器移植は可能(年齢制限撤廃
  ④(改正前)臓器がだれに移植されるかはわからなかった
   ⇒死亡して臓器を取り出した人の親族に優先して移植

 自分が脳死と診断された時、自分の臓器を他人に提供してもいいのかは、自分が死ぬ前にドナーカードや家族に対して、意思を表明しておく必要があります。また、死の間際になった時、抗がん剤などの延命治療を行うのか、それとも治療を放棄し、できる限り自然死を受け入れるのか。あるいは薬物などを用いることにより苦しめずに死を迎えさせる安楽死(日本では禁止)を認めるのかという問題もあります。

 若い人ほど、こうした問題はピンと来ないかもしれませんが、自分が死ぬ時だけでなく、私も、自分の妻や子供たちが脳死になったり、余命宣告を受けると想像しただけでも、落ち着かない気持ちになります。そうした時にパニックにならないためだけでなく、自分の限られた人生を有意義に生きるためにも、こうした問題について生前から家族や友人たちと真面目に語り合う時間も必要なのではないでしょうか。

 ●忘れられる権利
 ヨーロッパにおける裁判で「忘れられる権利」が認められました。インターネットというのは怖いもので、一度ネット上に載ってしまった情報は、本人の知らないうちにどんどん拡散してしまう可能性もあります。例えば私の名前「飛垣内」でGoogle検索した場合「飛垣内、政経、政治経済、政治経済塾」などの検索ワードが出てきて、私としては、なんとなくうれしくて、調子に乗ってしまいそうになるのですが、これが「飛垣内、スケベ、詐欺師、犯罪者」とかのワードになってしまうと、逆に二度とパソコンなんて触りたくもなくなるのではないかと思います。つまり、このようにネット上に本人の望まない情報(画像、ニュースなど)が出回ってしまった場合、検索サイトに依頼して削除してもらう権利のことを「忘れられる権利」といいます。EU(ヨーロッパ連合)では法制化され、削除が行われていますが、日本ではまだこの権利が認められ、削除が行われた例はありません

9.国民の義務と公共の福祉
 今回は、日本国憲法に載っている権利をたくさん勉強してきましたが、これらの権利を主張するためには、日本国民としての義務も果たさなければなりません。最後に国民の義務について説明します。まず、日本国憲法は日本国民に3つの義務を課しています。

●国民の三代義務

 ・ 納税の義務(30条)
 ・ 保護する子女に普通教育を受けさせる義務(26条)
 ・ 勤労の義務(27条)

 この中で注意するのは「保護する子女に普通教育を受けさせる義務」です。この義務は小・中学校の義務教育に関する記述ですが、ポイントはこの義務は子どもたちが義務で学校に行くのではなく、親たちが義務で子どもを学校に行かせるのだということです。この義務は大人たちへの義務だということをお忘れなく。

●公務員の憲法擁護義務
 さらに、公務員には憲法擁護義務というのもあります。ここで言う公務員とは政治家も入ると思ってください。この義務は、公務員は、国民のための仕事を行う存在なのだから、しっかり憲法を守り、国民のよい見本になりなさいよという義務です。そんな大したことを言っていないように見えて、この規定は憲法の本質を語るうえで、とても大事な規定なので詳しく説明します。

 みなさんは、憲法と法律の違いがわかりますか? イメージ的に、憲法のほうが法律よりも偉そうというのは、わかるのですが、正式には、国民が守るのが法律、政府が守るのが憲法と理解しましょう。つまり、憲法とは、国の政治の基本的な方針を示すだけでなく、政治家を含む公務員たちに独裁政治を起こさせないため、彼らを縛り付けるルールなのです。そう考えると、公務員に憲法をしっかり守らせる憲法擁護義務があるのは大切なことですよね。

●公共の福祉
 そして、義務のほかに国民の権利を制限するものとして、公共の福祉というものがあります。公共の福祉とはなかなか理解してもらいにくい単語の一つですが、わかりやすい言葉に言い換えると「みんなの幸せ」「思いやり」といった言葉になります。

 例えば、憲法21条では表現の自由を規定しますが、だからといって、どんなことでも自由に表現してもいいわけではありません。例えば、人を傷つけることを表現したり、テレビや新聞がうその表現したりということは、許されることではありません。あるいは、憲法22条では職業選択の自由が規定してありますが、好きな職業についてもいいからといって、麻薬の売買や人身売買、殺し屋などの職業についてもいいわけではありません。つまり、基本的に人々は自由に行動する権利を持っているけど公共の福祉みんなの幸せ、思いやり)のことを考えると、権利を制限されることがある。このような原理のことを公共の福祉といいます。自分だけでなく、みんなが幸せになる世の中をめざすためには、公共の福祉に従う義務もあるということです。

チャタレー事件
(1957年)
【内容】D・H・ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』の性描写が、刑法で禁じるわいせつ的な表現に当たるとして、出版社と翻訳者が訴えられたが、彼らは、表現の自由の侵害に当たるとして反論する。
【判決】露骨な性描写は、善良な公衆道徳を侵すものであり、公共の福祉の概念から、表現の自由を制限してもかまわないとして、翻訳者と出版社が有罪判決を受ける。

 「チャタレー夫人の恋人」という、エッチなシーンが掲載された小説が出版されました。しかし、そんなエッチな小説が若者たちに読まれることになると、教育上よくありません。ですので、この本の出版停止を求めて裁判が行われました。しかし、出版社側としては、日本国憲法には「表現の自由」があるので、出版が差し止められるのはおかしいと反論します。つまり、権利や自由だけを優先させるのであれば、この理論も通るわけですが、世の中にはエッチな小説を読みたい人もいれば、私のように真面目で純粋でそんなエッチな小説なんて全く読みたくない! けがわらしい! と思っている人もいるわけです(すみません。ウソをつきました)。ですので「表現の自由」はあるかもしれないけど、青少年への教育や(わたしのように?)真面目な人たちの幸せのことを考えると、公共の福祉の原理から「表現の自由」が制限されたのが「チャタレー事件」です。

2024年1月28日修正